2016年9月18日 投稿者:SaySaySay 投稿日:2016年 9月18日(日)09時16分53秒 通報 仮諦・空諦・中諦の三諦について。 『日蓮大聖人の法理 -真実の仏法を知るために-』P.60が分かり易い(特に最後「水」の例え)と思うので、以下、引用します。 まず、空諦とは、万象は皆、常住不変の実体といったものをもたず(無自性:むじしょう)、有無の範疇ではとらえられない、ということ。仮諦とは、空であり、無自性であるがゆえに、五陰仮和合の種々の姿をとる諸事象。中諦とは、先の空・仮二諦として現れている生命それ自体。――一往、このように表現することができるであろう。 この三諦は、一切の諸法、万物に具わっている。ここで、花を例にとってみたい。芽をふき、葉をつけ、やがて美しく花を開く。その移りかわる姿は仮諦。この草花が芽ぐみ、色彩やかな花を咲かせるという性分は空諦。種から芽、花をつけ、やがて花が枯れても、アサガオならアサガオというその草木自体には変わりない。それは中諦。――以上のようにいうことができるであろう。 また、水についていえば、表面張力があり、溶解力がある。また温度の変化に従って氷あるいは水蒸気になるなどの性質がある。こうした性質そのものは空諦といえよう。次に、ある時には水蒸気に、また氷にと変化するその姿形は仮諦。そうした性分、姿形をとろうともH2Oという水の本性、本体には変わりがない。それが中諦といえるだろう。 Tweet