2016年9月17日 投稿者:螺髪 投稿日:2016年 9月17日(土)21時55分32秒 通報 須田晴夫氏が2016年9月14日に提示の「宮田論文への疑問 ――日蓮本仏論についての一考察」は、実に大きな意味を持つことになるでしょう。 こともあろうに創価大学を使った、日本宗教学会第 74 回学術大会の席上で、宮田幸一氏がまるで創価学会の教学を一日にしてひっくり返してしまいそうな独断の変節教義内容や、同氏の日頃の盲説を一刀両断してくれたからです。通快です。さすがです。 ものすごく分析的で、論理的で、しかも大局的な視点も忘れておられません。とくに分析的な論調は私の肌にも合い、拍手喝さいといったところです。論文②で、「氏は『新しい日蓮本仏論を構築する必要がある』とも述べているが、氏がこれまで発表してきた他の論文を見るかぎり、氏は日蓮本仏論を脱却して釈迦本仏論を目指す志向性を持っているように見受けられる」と、まことに本質を突いた、手厳しい批評も示して下さっている。 彼は、日蓮仏法ばかりか、インドで誕生し、中国で熟成し、日本でその本質を極めた仏教の歴史そのものを否定しようとしているのが明らかです。 さて、創価学会執行部はどうされるのでしょう。教学部対応のコメントでも出すのでしょうか。須田氏の「論」をも“怪文書”扱いにしてしまうのでしょうか。須田氏は、池田先生と「法華経の智慧」を編んだ一人でもあります。それとも、「法華経の智慧」そのものも、闇に葬ってしまうつもりなのでしょうか。それは、無理です。あの「法華経の智慧」は、大白蓮華掲載時も、出版された時も、いまも、とくに壮年には圧倒的支持のある「書」です。さて、どうするのでしょう? Tweet