投稿者:一人のSGI 投稿日:2016年 9月12日(月)07時51分33秒   通報 編集済
<中 如是体>

仏法の目から見ると、宇宙に存在する全ての生命は法則に則って、秩序正しく生きています。
その法則とは、単に物理的な法則ではなく、生命の妙を演繹的に悟った仏の智慧によって明らかにされた、不変常住で
全ての生命に普遍的な真理です。
永遠の生命、因果の法則、生死不二、色心不二、依正不二、煩悩即菩提、、、つまるところ「一念三千」に集約します。
その「法」を中諦(如是体)といいます。草木から動物、宇宙に存在する全ての生命はこの「法」に則って、
永遠の生命を生きています。
(注;「法」といっても、諸法という場合の法は変化相であり空や仮を意味し、又、三諦全体、つまり生命全体も法で
あるのでそれを示す時もある)
この「法」自体は当然として完全無欠(円満)でありますから、堕落して、退歩することも、滞ることもありません。
又、逆に昇華したり、啓発や練磨する必要もありません。
すべての生命の奥深くにあって、それぞれの個の生命を崩れないように支えています。
生命というものは、この法によって、永遠に変化を続けながらも、因果が途切れる事も完全に他と混ざって個の特性を
失う事もありません。

<空 如是性>

もとより「法」は中立に存在しているので、現実の個々の差異は空諦(如是性)と仮諦(如是相)に現れます。
智慧や境涯の差、宿業など、目には見えないが確実にそれぞれの生命に差を与えている性分は空の性質を持っています。
空である、性分、性質、宿業などは一刻一刻変化しているという点で、固定して存在しているわけではないので
有るとも無いとも言えないが、それでいてしかも、個の生命を顕現しています。

<仮 如是相>

そしてその個々の持っている空諦(智慧や境涯の差、宿業や性分、性質)が、色(仮)心(空)不二として仮諦としての相(姿、形)に表れます。
その表れ出でた体を以て自分の宿業を生き、仏の智慧を開発し、悪業の宿命転換をするか、その逆かは本人の一念にかかっている。

この三つが私達が朝晩唱えている勤行の方便品第二の、諸法の十如是の内の最初の三つの「如是相、如是性、如是体)です。
つまり、人間だけではなく、全ての生命はこの三つの側面をもっており、その生命の内部に秘めているエネルギー(力)と又、環境と相互作用(作)を
しながら、瞬間瞬間、十界のいずれかの因果(因、縁、果、報)を創造しながら、生死生死と生きています。
こんなに簡単に書いていますが、実はとっても奥が深く「唯(ただ)仏と仏」だけしか理解できない、と書かれていますから、
私もより一層勉強しなくてはと思っています。
最終的にはこれも御本尊の事でもありますから。

舎利弗。取要言之。無量無辺。未曾有法。仏悉成就。止舎利弗。不須復説。所以者何。仏所成就。第一希有。難解之法。唯仏与仏。乃能究尽。
諸法実相。所謂諸法。如是相。如是性。如是体。如是力。如是作。如是因。如是縁。如是果。如是報。如是本末究竟等。

舎利弗、要(よう)を取って之を言わば、無量無辺未曾有(みぞうう)の法を、仏悉(ことごとく)く成就(じょうじゅ)したまえり。
止(や)みなん、舎利弗、須(すべか)らく復(また)説くべからず。
所以(ゆえん)は何(いか)ん、仏の成就したまえる所は、第一希有難解(だいいちけうなんげ)の法なり。
唯(ただ)仏と仏と乃(いま)し能(よ)く諸法の実相を究尽(くじん)したまえり。
所謂(いわゆる)諸法の如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等なり。