2016年6月13日 投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年 6月13日(月)10時19分50秒 通報 法華経の行者の実践を説いた不軽品は、法華経の精神を明確に示しているとともに、 その精神は「一切衆生を決して軽んじない」という不軽菩薩の誓いによく表れています。 その実践を貫き通した不軽菩薩の最大の特徴は「六根清浄と罪障消滅」という功徳です。 不軽品のなかで「不軽菩薩の罪が終わり(其罪畢巳)、命が終わろうとする時、 彼はこの経を聞いて六根清浄となった」と説かれています。 つまり、迫害を受けることによって、自身の罪障を滅することができたというのです。 しかしこの解釈は元になるサンスクリット本には記載されておらず、後から鳩摩羅汁が付け加えたものです。 サンスクリット本では、不軽菩薩がなぜ迫害を受けたのかという 不軽自身に即した内在的な意義は明らかにされていませんでした。 そこで鳩摩羅汁は不軽自身の罪業と結びつけ、迫害の本質をより明確にしようと考えたのだと思います。 つまり、不軽菩薩が難(迫害)を受けたのは彼自身の過去世のゆえであり、 法華経弘通のゆえに難(迫害)を受けたことによって、自身の罪業を消滅させた――。 この鳩摩羅汁の解釈によって、初めて「難(迫害)による滅罪」という宗教的意義が明示されたのです。 大聖人はこの「逢難による罪障消滅」の原理を最重視しました。 事実、大聖人が佐渡流罪期にあって「日蓮の流罪(迫害)は自身の罪業のゆえ(佐渡御書)」であるとし、 この逢難によって罪障を滅することができると述べています。 日蓮仏法には自身の宿業を直視し、その業の転換や克服を説く思想がありますが、 その前提には不軽品に説かれる罪障消滅の思想があったのです。 Tweet