2016年9月7日 投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年 9月 7日(水)12時43分0秒 通報 このような社会では弱者は切り捨てられ、少数意見は多数の意見に飲み込まれ、 必ず権力者がのさばり民衆を利用するようになるものです。 そういう世界では力の論理が横行し、権力者に従わない者は抑圧され、 物言わぬ民衆は弱肉強食の世界に引きずりこまれ、やがては戦争に巻き込まれていくでしょう。 安国論には仁王経を引いて 「人と生まれてきても兵士にされてしまう(趣意)」 という文がありますが、兵士は命令によって動かされる存在です。 そのような兵士には、自ら戦争を抑止する自立した判断力や行動力はありません。 〝万民の業感〟とはそういうことだと思います。 権力者にとって一番扱いにくいのは、生命力が旺盛で、行動力のある目覚めた(自立)民衆です。 民衆の自立的な行動を権力者が眉をひそめて抑圧するのは、 民衆が立ち上がることを権力者が恐れているからであり、 民衆が一番〝強い〟ということを心の底では知っているからです。 このように考えていけば、民衆に活力を与える法(思想哲学)とは、 民衆の自立力を促す「生活原理・指導原理」だといえるのではないでしょうか。 いくら政治改革や制度を改善しても、民衆一人ひとりが真の意味で自立しない限り、 恒久的な平和社会を実現していくことは難しいと思います。 だからこそ池田先生は一人の人間における偉大な生命の変革―― つまり〝人間革命運動〟を内外に向かって世界に推進していったのです。 Tweet