2016年9月1日 投稿者:無冠 投稿日:2016年 9月 1日(木)17時49分26秒 通報 全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。 2008-2-27 【婦人部最高協議会 ①】 ■ 一、きょうは久方ぶりに婦人部の最高協議会に出席できて、うれしい。皆さん、ご苦労さま! 女子部の代表の皆さんも、ありがとう!(大拍手) いよいよ3月だ。 ここ学会本部の周辺では、早咲きの桜が美しい花を咲き薫らせている。 春が来ました! 寒風を乗り越えて、春が来ました! 厳寒の冬の闘争を乗り越え、勝ち越えて、明るい笑顔の皆さまが集まりました。 春は喜びだ! 正しき信仰に生き抜く私たちの生命は、三世の諸仏の護りと笑顔に、春のごとく包まれている。 皆が勝ったのだ。 三世十方の仏菩薩の賞讃はあまりにも大きい。そして、厳として、さらに私たちを守りゆくことは間違いない。 ●すべてが福徳に 一、学会のため、広宣流布のために戦えば、すべてが福運となる。偉大な福徳となって生々世々、わが身を飾っていく。 これが偉大な仏法の力用である。 確固たる幸福への基盤を築く。最高の人生を生きる。そのための信心であり、学会活動なのである。 私は、全同志に”本当に楽しい。幸福だ!”と言えるような人生を歩んでもらいたい。いつも、そう願っている。 学会の組織においては、さまざまな立場がある。新しい人材が自分に代わって中心者となり、今度は別の立場で、その人を守り、支えていく場合もあるだろう。 しかし、そうした場合でも、信心は一歩も引いてはならない。引いてしまったら、自分が損をする。 どこまでも、広布のため、同志のために全力で戦い抜いていく。その気概を絶対に失ってはならない。 ●創価の城を守れ 一、リーダーの皆さんは、どこまでも創価の「師弟の精神」を根本として、戦い、進んでいただきたい。 そして、連携を密にして、団結することだ。未来にわたって、学会を守り、師弟の精神を守り抜く。そうした婦人部であってもらいたい。 もし将来、学会の中に悪い人間が出るようなことがあれば、皆が心を合わせて、一体となって戦うのだ。 “三代の会長は、こう言っていた。あなたのやっていることは、おかしいではないか!” “私は師弟の精神を教わってきた。師匠から、長年にわたって指導を受けてきた。あなたの言っていることは、それと違うではないか!” そう言って、立ち上がるのだ。絶対に、悪人を、いい気にさせてはならない。断じて見逃してはならない。 婦人部がどれほど大事であるか。私は、そのことをだれよりも知っている。だからこそ、未来のために、あえて言い残しておきたいのだ。 ●桜を仰ぎながら 一、意義深き50周年の3・16「広宣流布記念の日」も、いよいよ間近だ。 全国に先駆けて桜の季節を迎えた沖縄では、尊き同志が見事なる勝利の歴史を刻んでおられる。 戸田先生は、にぎやかに咲く桜の花が好きであられた。 “花が一夜に”の学会歌も、好んで歌われた。 花が一夜に 散るごく 俺も散りたや 旗風に どうせ一度は 捨てる身の 名こそ惜しめや 男なら 先生は、この歌に、広宣流布への不惜身命の快意を込めておられたのである。 桜といえば、かつて、東京・信濃町の旧第一青年会館を改築する際、当時の幹部らが、その前にある桜の木を切ったほうがいいと主張した。 しかし、私は「残すべきだ」と言って反対した。 最終的に、この桜は残ることになった。私は後に、この桜を「青年桜」と命名した。 今では毎年、春になると、学会本部を訪れる方々が、この「青年桜」を「素晴らしい!」と仰ぎ見て、讃嘆している。 また、学会本部の近くの道に、桜の苗木を植えたことがある。当時は、だれも思いもしないことであった。 桜はやがて大きく育つだろう。私は、「舞い散る花を見つめながら歩みゆくなんて、素晴らしい”絵”のようではないか」と皆に語った。 今では、皆が感嘆する、美しい”桜の道”となった。 ●新世代のために 一、婦人部の皆様は、平和の先駆者である。 偉大なる 母が平和の 力なり 広宣流布の戦いは、一日たりとも休みなく進む。 蓮祖は「命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也」(御書955ページ)と仰せである。 私は、文明を結び、人類の未来へ指標を贈りゆく、世界の知性との語らいを、間断なく続けている。 傑出した国連の指導者として活躍してこられたチョウドリ前事務次長との対談も、いよいよ連載が開始される。〈月刊誌「潮」の5月号からの予定〉 タイトルは、「新しき地球社会の創造へ21世紀の国連と民衆を語る」。 国連改革から世界市民の育成、さらには、大詩人タゴールをはじめとする文学論等々、幅広いテーマをめぐって語り合っていく予定である。 チョウドリ前事務次長といえば、「平和の文化」の理念を、国連をはじめ、国際社会に広めてこられたことでも知られている。 このチョウドリ博士が、「平和の文化」の担い手として、絶大な信頼と期待を寄せておられるのが、創価学会婦人部をはじめ、草の根の女性たちの活躍である。 それは、なぜか。博士は、対談のなかで語っておられた。 「女性は、生命を生み、また育むという特質のゆえに、本質的に平和主義者です」 「社会のために、そして現在と未来の世代のために、女性の方が、ずっと深く心を砕いています。その意味では、女性こそ、あらゆる社会の屋台骨なのです。女性が社会を一つにまとめているのです」 この点でも、私たちの見解は一致した。 ●母に感謝を! 一、博士は、こうも述べられている。 「女性は、苦しみを取り除きます。時には、社会の苦しみを取り除くために、それを我が身に引き受けることさえするのです」 女性には「奉仕」の心、「慈愛」の心が光っている。 こうした女性の特質は、社会を発展させゆくために、なくてはならないものであると、博士は論じておられた。 この”抜苦与楽(ばっくよらく)”の究極の実践を、一日また一日、たゆみなく貫いておられるのが、わが婦人部の皆様方である。 ともあれ、母の声は「希望の声」である。 母の祈りは「正義の祈り」である。 母の行進は「生命尊厳の大行進」である。 母を見失った時、人は根無し草のように、虚栄と不安と迷走の人生となる。 母への感謝を忘れた時、世界は冷酷な無慈悲の牢獄となってしまう。 ゆえに、母に最敬礼して、母から学びゆくことだ。 女性を最大に尊重していくことだ。 母の慈愛を根本とし、女性の智慧を大切にしていくならば、どれほど社会は変わることか。 どれほど文明の”表情”が人間らしく変貌することか。ここにこそ、最も確実に人類史を変えゆく、平和と幸福の大道があるといってよい。 ■ 蓮祖は「正法を護り抜く信心」の真髄を、「涅槃経(ねはなきょう)」で説かれた一人の母の姿を通して教えておられる。 佐渡での流罪中、極寒のなか綴られた「開目抄」で引用されている。〈御書233ページ〉 ──居るべき家もなく、助けてくれる人もいない、一人の貧しき女性がいた。 彼女は、生まれたばかりの愛児を抱きかかえて、他国へ艱難の旅を続けた。その間、激しい風雨に遭い、寒さにも襲われ、毒虫に食いつかれた。 しかし、それでも、わが子を手放さなかった。 やがて、ガンジス河を渡ろうとすると、流れが速くて、呑み込まれてしまった。 幼子を離せば、自分だけは助かることができたかもしれない。だが、母は子を抱きしめ続けた。そして、母子ともに没してしまった。 しかし、この母は、その後、梵天に生まれた。わが子に対する、深き慈悲の心の功徳のゆえである──と。 釈尊は、この命懸けの母の慈悲と勇気の行動を通して、弟子、なかんずく男性の弟子たちを厳しく叱咤したのである。 「法を護ろうとする菩薩も、まさにこのようにあるべきである」 「正法を護るためには命を捨てよ」と。 小さなエゴの壁を破り、偉大な仏の境涯に上りゆくためには、この母のように不惜身命の心で、正法を護り抜くべきであることを、釈尊は示したのである。 釈尊、そして大聖人が教えられたままに、師とともに、「勇気」即「慈悲」の信心を貫き、正法を護り、正法を広宣流布しゆく創価学会を護り抜いてくださったのが、わが婦人部の皆様方である。 だからこそ、大功徳が無量無辺に積まれ、梵天・帝釈も動き働いて、仏法史上、いまだかつてない、世界190カ国・地域への広宣流布が開かれたのである。 創価三代の師弟の道を進み抜いてこられた婦人部の皆様方にこそ、仏法の正統中の正統の血脈が流れ通っている。 創価学会婦人部こそ、仏の生命体そのものであることを、私たちは「文証」「理証」、そして「現証」に照らして、厳然と宣言しておきたい。 この母の大連帯を、人類の宝とし、希望として、貧困や疫病、紛争や暴力などに苦しむ世界の母と子の悲劇の流転に、断固と終止符を打っていく。 そして、すべての母と子の微笑みが絶えない、歓喜の旅路を開いていく。これこそが、私たちの広宣流布の挑戦なのである。 ●「英雄の心 を失うな」 一、戸田先生は、こうご指導された。 「創価学会は、苦しんでいる人々を救うため、広宣流布という仏の仕事をする、最高に尊い組織だ。戸田の命よりも大事な組織だ」 私は、この言葉を、胸に刻みつけた。 そして、その通り、学会に、広宣流布に、生命を捧げてきた。同志が幸せになるように──その ことを、ただひたすら祈り、行動を重ねてきた。 それこそが、広宣流布のリーダーの使命であるからだ。 逆に、責任ある立場にありながら、自分は動かず、人を勝手気ままに動かそうとするのは「権力の魔性」である。 戸田先生は、こうも断言されていた。 「どんなに社会的に有名になっても、折伏し抜く闘士、仏法を行じ抜く英雄の心を失えば、一つも偉くない! それは、畜生根性に成り下がった姿だ!」 社会的地位や学歴は、仏法の世界、信心の世界とは、一切関係ない。御本尊を前にし、「生命」に目を向けた時、いかなる人も、例外なく平等である。 ここまで世界広布を成し遂げることができたのは、なぜか。 それは、偉大なる無冠の庶民が、あらゆる風雪を越え、師弟を根本に、固く団結して進んできたからである。 皆様が、どれほど偉大であるか。たとえ学歴がなくとも、社会的な地位がなくとも、決して卑屈になる必要はない。悠然と、堂々と進んでいただきたい。 社会的な立場で、人の偉さは決まらない。そうしたことで威張ることほど、愚かなことはない。 最も尊貴なのは、広宣流布を進め、現実に人々を幸福にしていく人なのである。 ともあれ、創価の母たちの率先垂範の戦いにこそ、「権力の魔性」の闇を破りゆく、最極の生命の光が輝いている。 ● 師匠の大恩にどう報いるか 一、私も、恩師・戸田先生に、人生の正しき道を教えていただいた。 この大恩ある師匠に、どう報いるか。 大難と戦う最高の正義の人を、どう護り、いかに世界に宣揚していくか。 ただ、この一点に、弟子の私は、青春を捧げたのである。 そして、恩師である戸田先生と、不二の心で戦い抜いてきた。 その戸田先生もまた、恩師・牧口先生に牢獄までもお供されている。 それが、どれほどの決心であられたか。とても言葉では言い尽くせない。 一、私は、ただ一人になっても、厳然と戸田先生をお護りした。 先生の事業が苦境に陥り、理事長の辞任を余儀なくされたときも、「わが師匠は戸田先生だ。戸田先生をいじめる連中は許すものか!」と心に定め、立ち上がった。 事業の再建に駆けずり回り、先生の悪口を言う者がいれば、どこにでも飛んで行って、真実を訴えた。先生のために命を捨てる覚悟であった。 学会の力は、師弟にある。師弟不二にある。師弟不二でなければ、仏法ではない。学会ではない──そのように戸田先生は教えられたのである。 【婦人部最高協議会 ②】に続く Tweet