2015年2月3日 投稿者:ジョーカー 投稿日:2015年 2月 3日(火)21時31分47秒 Takeda様 執行部が本当に黒なのかが、疑心暗鬼の人もまだまだいるでしょう。そして、どこかで潔白であることも信じているのではないでしょうか。その気持ちを代弁しての「信じる」という言葉なのです。 信濃町の人々様 これだけ執行部や幹部を叩いているのに、それに対して、明確な反論の内容の記事を書く人が出てこないということは黒であることが確定してしまいますが、体制側のみなさん、それでいいのでしょうか? 裁判においての立証責任は基本的に、訴える側(検察官)にあり、「疑わしきは罰せず」とあるように、証拠不十分だと罰せず、裁判官は被告人に有利な判決を下します。かといって、被告側に立証責任がないというわけではありません。これだけ悪事が露呈され、叩かれているのに、何にも反論がないということは事実ということになります。 潔白であるのなら、しっかり論をもって主張する人が出てきてもおかしくはない状況なのに、それがない。 出てくるのは、所謂「荒らし」の低レベルのどうでもいい人たちだけ。それでは益々疑いの気持ちを強めるだけです。 一方的な情報では、閲覧している人たちも納得はいかないでしょう。だから、執行部が潔白であることを証明する人があらわれないかなと。潔白でなければ、現場の学会員は困ってしまいますよ~ 虹と創価家族様 過去や伝統をひっくり返すには、それにふさわしい大義がなければなりません。 今回、それが感じられないし、あまりにも軽率に映ってしまいます。 そして結果として、無用な混乱を招き、仏敵の勢いを増大させてしまった。 「こういうことじゃない感」が蔓延しているからこそ、困惑する学会員がいるわけです。 すっきりした気持ちで学会活動できなくなってしまったら、マイナスでしょうし、その会員の痛みが伴う会則改正に、大義は存在しないのではないでしょうか。 Tweet