投稿者:無冠 投稿日:2016年 8月22日(月)22時36分22秒   通報

全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2007-10-18 【国際学術シンポジウム】(メッセージ全文)

人類への貢献を競い合え!
人道的競争こそ時代の潮流
『周総理』「すべての国が平等の立場で助け合うべき」

 滔々たる長江の流れに連なって、雄大な洞庭湖(どうていこ)が広がり、そして、数多の詩聖が詠じた岳陽楼(がくようろう)も聳え立つ──。
 ロマン薫る湖南の天地からは、いにしえより、大中国の青史(せいし)に、その名を刻みゆくスケールの大きな逸材が、どれほど澎湃と躍り出てきたことでありましょうか。《※青史=昔、紙のない時代、青竹を火で炙(あぶ)って青みを除いた竹簡に書きつけたことから〕記録。歴史書。》
 この詩情豊かな「人材の都」長沙(ちょうさ)に光り輝く名門学府・湖南師範(こなんしはん)大学での、意義深き「国際学術シンポジウム」に当たり、私は満腔の敬意を込めて、メッセージを送らせていただきます。

■ 開かれた対話を
 ここ長沙は、世界の大学の淵源ともいうべき千年の学府「岳麓(がくろく)書院」があります。
 この世界的な学問の殿堂で、朱子学の祖であり教育者としても名高い朱熹(しゅき)は、満場の学究の徒に対し、大宇宙と人間の精神を語りました。
 この折、演壇の朱熹は、もう一人の教師と共に、二つに並んだ椅子に座ったと伝えられております。集った学生たちは、この二人の教師の闊達なる「対話」を聞くことを通して、学んでいったのであります。
 生き生きとした「対話」によって、新しい知恵の世界を築きたい。開かれた「対話」を通して、世界を変えゆく新しい人材を育てたい──私には、この大先哲・朱熹の魂が、今回の学術シンポジウムの尊き精神と、強く深く共鳴しているように感じられてならないのであります。
 今日、しばしば唱えられる「文化相対主義」も、互いの「差異」を「理解する」ことに留まっているのではなくして、それを現実的な「平和の文化」の建設のために、いかにして連動させていくか。それも、まず具体的な「対話」へと打って出る行動にかかっていると、私は思ってきた一人であります。
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■ 「一つの家族」
 この「対話の文明」と「平和の文化」の重要性については、近年、国連などでも叫ばれ、国際社会の認識も高まりつつあります。
 それらの種子を、より着実に根付かせ、芽生えさせ、花聞かせ、そして、21世紀の世界に豊かな実りをもたらしていきたい。そのためには、滋養となる土壌の存在、すなわち、確たる思想的な基盤が、ますます重要になってきております。
 つまり、人類は”一つの家族”である。この家族は、あらゆる人種・民族によって構成される。そして人間だけでなく、生きとし生けるものすべてが、この家族を構成しているのである──こうした「平和」と「共生」の精神性の根底を、一段と深く広く耕していくべき時を迎えているのではないでしょうか。
 その一環として、私は本年、21世紀における「儒教ルネサンスの旗手」として名高い、ハーバード大学のドゥ・ウェイミン教授と、『対話の文明──平和の希望哲学を語る』と題する対談集を発刊いたしました。
 ドゥ教授は、国連が、2001年の「文明間の対話年」に開催した賢人会議に、儒教文明を代表して参加された世界的な知性であります。
 ドゥ教授と私は、確認し合いました。
 それは、「儒教ヒューマニズム」と「仏法の人間主義」とに通い合う、普遍的な人間尊厳の思想は、多様性に富む人類が平和的に繁栄する「多元文化と世界の調和」を構築しゆくための精神の大地となるものであるということです。

■ 「誠」の振る舞い
 その重要な「徳」の一つは、儒教の「中庸」であり、仏法の「中道」であります。
 『中庸』には、明快に論じられております。
 「誠とは天の働きとしての窮極の道である。その誠を地上に実現しようとつとめるのが、人としてなすべき道である。
 誠が身についた人は、努力をしなくともおのずから的中し、思慮をめぐらさなくともおのずから達成し、自由にのびのびとしていてそれでぴったりと道にかなっている」(金谷治訳注『大学・中庸』岩波文庫)
 「中庸」とは、いうまでもなく、極端に走らない生き方を指しています。ただし、それは足して二で割ったような、中間的,静止的な位置に留まるものでは、決してないはずです。
 あくまでも現実に即した、自由闊達にしてダイナミックな生き方にほかならない。その躍動する智慧を支えるのが「天の道」であり、この道に則った、人としての振る舞いが「誠」とされているのであります。
 この点、大乗仏教に説かれる「中道」もまた、
 「宇宙根源の法(妙法)」に則り、変転極まりない社会の只中で、「随縁真如(ずいえんしんにょ)の智」に基づき、自在に価値を創造していく、すぐれて融通無碍な人間の生き方であります。
 儒教では「天人合一(てんじんごういつ)」を説き、大乗仏教では「宇宙即我」を明かしました。
 「中庸」も「中道」も、その生き方のなかに、大宇宙の「永遠なるもの」「普遍なるもの」に適った奥行きの深い倫理性を包含しております。
 湖南が生んだ中国仏教哲学の最高峰である天台智覬は、『摩訶止観』において、儒教が尊ぶ「五常」(仁・義・礼・智・信(じん・ぎ・れい・ち・しん)を、不殺生戒や不妄語戒、不偸盗戒などの「五戒」と対比させておりました。
 そして、「仁」をもって他者を慈しむことは、仏教の「慈悲」の実践に相通じると洞察しているのであります。
 この儒教倫理の根幹をなす「仁」を、現代的に表現するならば、国際社会に要請されてやまない「ソフト・パワー」に当たる──。これが、ドゥ教授と私の一致した見解でありました。
 今、テロや紛争が各地で続き、憎しみの連鎖や文明間の対立が深刻化しつつある状況の中で、喫緊の課題は何か。《※喫緊=さしせまっていて大切な・こと(さま)。》
 それは、「仁」や「慈悲」などの徳目を、個々人の内的倫理に終わらせるのではなく、時代精神たる「ソフト・パワー」へと高めゆく広範な努力ではないでしょうか。

実戦すべき5つの規範を提示
1.他者への不可侵を貫く
2.すべての生命尊厳を守る
3.差異を尊重し文化を学ぶ
4.地球益に立った交流を
5.相手の人間性を信頼する

国際学術シンポジウムへの名誉会長のメッセージ