投稿者:無冠 投稿日:2016年 8月22日(月)04時51分35秒   通報

全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2007.10.12 【新時代第11回本部幹部会】

■ 一、遠いところ、ご苦労さま!(大拍手)
 自由に、ゆったりとして聞いていただきたい。
 皆様方のためにスピーチを残すことは、私にとって、重大な責任であり、義務である。ゆえに、きょうも、少々話をさせていただきたい(大拍手)。

●世界広布の時代
 一、海外の15の国や地域から来られた方々、遠いところ、本当にご苦労さまです!(大拍手)
 とくに、研修会に参加されたアメリカの皆様、ブラジルの皆様、台湾の皆様、フィリピンの皆様、インドネシアの皆様、韓国の皆様。
 ご苦労さまです。ありがとう!(大拍手)
 皆様方のお力によって、今、世界の広宣流布の新時代は、一日一日と、目覚ましく前進している。
 こんなに勢いよく発展している教団は、ほかにあるだろうか。大変なことである。
 世界でも、数限りない人々が、創価学会のことを知り、共感を寄せている。
 各国の指導者も、多くの人々がSGI(創価学会インタナショナル)に理解を示してくださっている。そして、大きな波動が、年を経るごとに、世界中に広がっている。
 この10月14日、アメリカのロスでは、5000人の青年が集って、西部方面の青年文化祭が、盛大に開催される。おめでとう!(大拍手)
 ブラジルでは先月、全国の258の会場で、1万5000人のメンバーが教学試験に挑戦した。ご苦労さま!(大拍手)
 フィリピンは、カバワタン新理事長のもと、2万5000人の友が集い、新しい広布の前進の総会を、各地で開催された。
 世界の注目の的である。おめでとう、ご苦労さま、と申し上げたい(大拍手)。
 また、台湾は、世界をリードする地域貢献の模範の前進が、社会に大きく賞讃されている。
 年末には、有意義な地区友好総会も予定されている。
 本当によく頑張っておられる。ありがとう!(大拍手)

●弟子の確信
 一、学会は、三代会長の時代までにおいて、一切の完璧な基盤ができ上がった。
 三代の師弟は、大聖人直結の真の広宣流布の血脈を継承してきた。この偉大なる魂があるからこそ、何があっても、学会は微動だにしないのである。
 本当に大聖人に直結し、広宣流布を進めてきた指導者は、牧口先生、戸田先生、私の三代の会長である。
 三代の会長は皆、牢に入り、命がけで戦ってきた。大聖人が仰せになられた三類の強敵、三障四魔と、敢然と戦ってきた。これが、法華経の行者の魂である。
 未来のために申し上げたい。皆様も、この創価の師弟を中心にして生き抜いてもらいたい。〈会場から「ハイ!」と力強い返事が〉
 私は、ただ戸田先生を中心に戦ってきた。
 戸田先生の時代、私より年上の大幹部はたくさんいた。
 彼らのなかには、戸田先生を軽んじる人間もいた。先生が苦境に陥るや、誹謗する者さえいた。
 しかし、私は、そうした連中に、はっきりと断言した。
 戸田先生こそが、牧口先生の真実の弟子であり、大聖人直結の大指導者であると。
だれが何と言おうとも、戸田先生を不二の師匠として進んでいくべきではないかと。
 学会の世界一仏法の世界は、厳粛なる師弟の世界である。
 私は、戸田先生のお心、牧口先生のお心を、厳然と残してきた。師弟の道こそ根本である。
 本年は学会創立77周年。創価の三代の77年の戦いは、「師弟不二」であるがゆえに、「異体同心」であるがゆえに、勝ってきたのである。
 これからも、学会は勝たねばならない。そうでなければ、人類の平和な未来はないからである。
 戦う「名誉」と「栄光」と「福運」は、無上の永遠なる価値である。
 どうか一緒に、広宣流布のために頑張っていただきたい。頼みます!〈会場から「ハイ!」と力強い返事が〉

●私は青年を待つ
 一、「捨つる命は 惜しまねど 旗持つ若人何処にか」。
 これは、戸田先生が獄中で作詞された、「同志の歌」の一節である。
 戦争中の法難の際、牧口先生を”大人”たちは裏切った。
 大人は、ずるい。その心は、利害であり、世間体だった。自己中心であり、保身だった。
 一方、青年は「信ずる」心が強い。そして「まっしぐら」である。
 ゆえに、戦後ただ一人、広宣流布に立ち上がられた戸田先生は、「青年だ」「青年を待っているのだ」と、口癖のようにおっしゃっていた。

●「慈愛」で育てよ
 一、60年前、昭和22年(1947年)の8月14日。私は、戸田先生と初めてお会いした。
 当時、戸田先生は47歳。私は19歳であった。
 あの日のことは、今でも鮮明に覚えている。以来、10年以上にわたって、先生のもとで厳しく訓練していただいた。
 先生は、ご自身より28歳も若い私に、広宣流布の命運をかけてくださった。未来の一切を託されたのである。
 戸田先生は、創価の青年群の中心に、私を据えられた。縦横に青年の力を発揮させた。だから、学会は大発展してきた(大拍手)。
 次のリーダーをどうするか。だれを選ぶか。これに失敗したら大変だ。皆が苦しむことになる。
 後継者を選び、育てていく──これが指導者の重要な役割だ。
 ともあれ、この戸田先生と私の「師弟」が起点となって、地涌の陣列が大きく拡大していった。
 その大発展の力こそ、「青年が大事だ」「青年を大切にしよう」との戸田先生の一念であった。
先輩の幹部は、青年を叱り飛ばしたり、アゴで使うようなことがあってはならない。
 もちろん、青年には訓練が必要である。
 しかし、何よりも、”学会のため、地域のため、日本の平和、世界の平和のために働いてもらいたい。大きく伸びてもらいたい”──そういう祈りをもって青年を育てていくことだ。慈愛の心で、温かく励ましていくことだ。きょうは、このことを改めて決議したいと思うが、どうだろうか(賛同の大拍手)。

●熾烈なる日々
一、青年は純粋だ。青年を伸ばしてこそ、永遠の創価学会は築かれる。
 戸田先生、そして牧口先生も青年を大切にされた。私も、その決意でやってきた。
 利害と打算、保身の人間は、信用できない。
社会的地位でもない。役職でもない。大切なのは「師弟の精神」があるかどうかだ。
 私は戸田先生のために命をかけて戦った。だれよりも働き、学会の基盤をつくった。私ほど、先生のために戦った弟子はいない。
 夜遅く、先生に「今すぐ来なさい」と呼ばれ、駆けつけたこともしばしばあった。当時のことは、私の妻が一番よく知っている。
 学会が、本当に平和のために立ち上がれるか。広宣流布の学会を築くことができるか。それは、熾烈な日々であった。
 また私は、先生を侮辱し、傷つける悪辣な人間は絶対に許さなかった。
 師匠のために、本気になって戦う。言論の力で断固として打ち破っていく。そういう気迫がなければならない。
 師匠を守れない。敵と戦えない。そうした情けない弟子であってはならない。
 「師のための戦い」の苦労をまったく味わわない者が最高幹部になれば、皆が不幸になってしまう。
 一、学会は、青年を起用し、青年の活力で前進していく。その上で、青年部の皆さんは、壮年部・婦人部の先輩方の心をよく知り、実践していただきたい。
 勝手気ままになったり、いい気になるようなことがあってはならない。それでは、親を大切にしないで、自分だけ自由奔放に生きるようなものだ。
 いよいよ、これからが大事である。

●世界が舞台だ
 「戸田先生の後を継いで、私が第3代会長に就任したのは32歳の時。これはど若い会長が誕生するとは、世間の人は考えもしなかったと思う。
 会長の就任式を終えて、家に帰ると妻が言った。
 「きょうから、わが家には主人はいなくなったと思っています。きょうは池田家のお葬式です」
 仏法のため、学会のために、あなたは思う存分に戦ってください──その決意を、妻は、きっぱりと語ったのである。
 昭和54年4月、私が会長を辞任した時にも、妻は、いつもと変わらぬ笑顔であった。
 「ああ、そうですか…。ご苦労様でした。健康でよかったですね」と語っていた。
 私自身は、微塵も動じなかった。かわいそうなのは、健気な学会員である。
 会長辞任直後の5月3日、創価大学で行われた本部総会の空気を、私は忘れることができない。
 あの時、極悪の反逆者が宗門の坊主らと結託し、陰諜をめぐらした。
 私が会長では邪魔である。悪事を働くことができない。だから、会長を辞めさせてしまえ──。
 本当に増上慢と嫉妬ほど恐ろしいものはない。害毒中の害毒である。
 会長を辞めた私には、本部に指揮を執るための席はなかった。
 5月3日の総会を終えた私は、妻とともに神奈川へ向かった。神奈川には、世界に開かれた海がある。
 これからは世界だ。小さな日本など見おろして世界を舞台に戦うのだ。そういう思いであった。
 ともあれ、どんな状況にあっても、私は大局観に立って、あらゆる手を打ち、行動してきた。
 私は健在であり、厳然と未来を開いた。常に先頭に立ち、広布に生きる方々とともに、学会員の尊い心をだれよりも守り、稀有の広宣流布の組織をつくってきたつもりである。
 今、これだけの力ある民衆の団結は、学会以外にない。
 最高幹部が、悪人と戦う厳しさを失ったり、広宣流布と関係ない事柄でいい気になったり、苦労をしなくなる。そのようなことは、断じてあってはならない。愚かであってはならない。
 同志が一番喜び、威光勢力を増すように、智慧を尽くして、新しい学会をつくっていこう!(大拍手)

●新しい力で前進
 一、わが学会は今、原田会長、正木理事長が誕生し、新しい力で、新しい前進を開始している。
 改めて、二人の足跡を紹介しておきたい。
 原田会長は、昭和16年(1941年)11月生まれの65歳。東京の下町・浅革橋に生まれ、板橋区に育つ。家は縫製(帯作り)の仕事をしていた。
 母に続いて、小学6年生の時に入会した。
 私が初めて出会ったのは、昭和36年の9月。原田会長が19歳の時である。
 戸田先生も19歳で、牧口先生にお会いした。
 私も19歳で、戸田先生にお会いした。
 彼は東京大学で学生部の一員となり、私の「御義口伝講義」に第1期生として勇んで参加し、真剣に研鑽を重ねた。
 卒業後、昭和39年に聖教新聞社に入社。昭和40年、元日号から連載が始まった小説『人間革命』を、第1回から第3巻まで担当した。
 私の直筆原稿を未来に残すため、彼は、一枚一校、別の原稿用紙に書き写し、それを工場に回していた。
 私は、すべて知っていた。こうした陰の功労があって、今、会長として指揮を執っているのである。

 一、原田会長は、言論問題の嵐が吹き荒れるなか、学会本部の要の庶務室長として、私のもとで、勇敢に戦った。
 私の海外指導にも、身に影の添うがごとく、いつも随行してきた。私の行動の軌跡を、一番よく知っている。
 大歴史家のトインビー博士や、中国の周恩来総理との会見の旅にも同行した。
 重大な歴史の証言者であり、証明者の一人である。
 私は、戸田先生のごとく、「三国志」の諸葛孔明のごとく、先を見据えて手を打ってきた。そうやって薫陶してきたのが原田会長である。
 実質的な学会本部の最高責任者である事務総長の職を22年間、務めた。
 名実ともに、「本陣の将の将」として、今日の盤石な土台を作り上げてきたのが彼なのである。

 一、正木理事長は、昭和29年(1954年)4月生まれの53歳。大阪・平野区の出身である。
 昭和36年、7歳の時、両親とともに入会。常勝関西の息吹のなかで、学会精神を学んだ。
 両親が苦しい家計を工面して、「池田先生のもと、広宣流布の役に立つ人材に」と東京に送り出してくれ、創価高校に3期生として入学した。偉大なお父さん、お母さんである。
 創価大学では、学生自治会の委員長として、大学の建設に奔走した。
 卒業後、本部職員となって2年後、高等部長に就任。昭和54年、私が第3代会長を勇退した嵐のなかで、師弟の道を求め抜き、私に直結した未来部を構築した。
 青年部では、創価班委員長、男子部長、青年部長を歴任。
 第2次宗門事件の際には、日顕宗を断罪する破邪顕正の言論戦の先陣に立った。
 そして、総東京長、壮年部長等を経て、理事長に就任。
 大事な人材であるゆえに、私から、紹介をさせていただいた。

●私利私欲の幹部を許すな
 一、結びに、戸田先生の遺言のご指導を青年部に捧げたい。
 「広宣流布の行動をしているように見えながら、すべて自分自身の利害のために動いている人間は、私の敵である」
 戸田先生が、このように強く叫んでおられる。ゆえに私も厳しく注意をするのである。
 自分の私利私欲のために動く幹部や、同志のおかげで偉くなったにもかかわらず、増上慢になって威張ったり、立場を利用して私腹を肥やしたりする人間が出たならば、断じて許してはならない。
 それは、仏法の敵なのである。よくよく考え、厳重に注意していくべきである。
 さらに先生は指導された。
 「世法で、また国法で、だれが一番、立派か。そんなことは問題ではない。仏法の上で、だれが一番、立派かということが大問題なのだ」
 広宣流布の最前線で戦う、わが創価の同志が、一番、立派なのである。真剣な第一線の学会員こそが、一番、偉大なのである。これが戸田先生の思想である。
 たとえ、最高幹部であっても、年をとり、第一線を離れて、要領よくなってしまえば、幹部失格である。
 どこまでも、一兵卒として、会員と一緒に戦っていかねばならない。欣喜雀躍して、学会の大方針は師弟不二であり、この道こそ一番の後悔なき道であることを、声を限りに叫び、自らの姿で示していくべきだ。
 今一度、学会は、青年の心で進み、若手もどんどん登用して、「若い創価学会」で出発してまいりたい(大拍手)。

●新たな劇場で君よ乱舞せよ
 一、戸田先生は、「青年よ、誠実であれ! 策や要領ではいけない!」とおっしゃった。この通りに私も進んできた。
 さらに、こう遺言された。
 「青年の成長なくして広宣流布も、時代の未来も開けない」「次の学会を、青年部、よろしく頼むよ!」と。
 今、青年部は、一番大事な時を迎えた。
 上げ潮から、引き潮になり、また上げ潮になっていくように、時代は、大きく回転している。
 わが創価学会は、ひと回りも、ふた回りも、大きな土台を持った「新しい段階」へと発展していく幕が開かれたのだ。

『戸田先生』 青年よ誠実であれ! 策や要領はいけない

 若き青年部の君たちが大活躍していく、そのための舞台は、ほぼつくり終わり、その形が、ほぼ見えてきた。
 あとは、この大劇場で、青年部の諸君が乱舞して、次の大きな学会を、世界平和の不滅の基盤となる学会を、いかなる嵐にも揺るがぬ勝利の学会をつくっていくのだ。青年部の諸君、頼むよ!〈「はい!」と大きな返事が〉
 一、戸田先生は青年に烈々と叫ばれた。
 「一番かわいい青年たちに、自分の思想を全部、託したい」
 「若い時代に、苦労せよ! 苦労せよ!」「若い生命を、尊い広宣流布の使命に生きて、東奔西走していきなさい」
 「創価学会は人材の集団である」
 「人材をどんどんつくれ! 探せ! 人材、人材の創価学会たれ!」
 「師匠の話を全身で受け止めなさい!」
 「次の時代は、君ら青年がやる以外にないのだから、しっかり頼むぞ!」
 すべて、私が深く心に刻んできた戸田先生の大事な遺言である。
 それを、信頼する青年部の皆さんに託したい。
 そして、ともどもに、明年の「人材・拡大の年」へ、意気軒高に前進していこう!
 長時間ありがとう!
 とくに海外の方々、本当にご苦労さまです。
 最後に海外の同志と日本の同志の皆さんの幸福を祈念して、お題目を唱えたい(大拍手)。
 〈名誉会長の導師で、参加者一同で唱題を〉
 皆さん、本当にありがとうございました。
 お体を大切に! 幸福を祈ります! お帰りになられましたら、お会いできなかった皆様に、くれぐれもよろしくお伝えください!(大拍手)