投稿者:無冠 投稿日:2016年 8月20日(土)07時10分54秒   通報
全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2007-9-6 【新時代第10回本部幹部会】

●戸田大学の栄誉は皆さんのもの
 一、ブラジルから、連絡をいただいた。
 それは、パラナ州にあるウニンガ大学が、私に対する名誉教授称号の授与を決定してくださったとの通知である(大拍手)。
 ウニンガ大学は、医学、生物化学などの研究、教育で名高い。
 この栄誉を私は、ブラジルをはじめ、きょう参加された「生命の世紀」の若き指導者である、世界の青年部の皆さん方と分かち合いたい(大拍手)。
 私がいただいた栄誉は皆さんの栄誉である。そうした栄誉を受けられる皆さんになっていく。師弟は不二であるからだ。
 仏法の眼でとらえれば、この喜びも、栄光も、皆さんの永遠の生命のなかに入っていく。刻まれていく。そのことを知っていただきたい。
 私は、「戸田大学」の卒業生である。
 戸田先生の事業の挫折。自身の病苦。当時の社会情勢。さまざまな原因が重なり、私は思うように勉強できなかった。通っていた夜学を断念した。
 先生は、「全部、私が教える」と言ってくださった。そして約10年間、ご逝去の前まで、個人教授を続けてくださったのである。あまりにも偉大な師であった。私は感動した。
 「戸田大学だよ」──先生の言葉を忘れることはない。
 この「戸田大学」に学んだ私が拝受した名誉学術称号は現在「218」。決定通知を含めると「239」になる。
 この世界一の栄冠を、私は、わが「池田大学」の若き英才たちに伝え、託していきたい。頼むよ!
〈会場から「ハイ!」と力強い返事が〉
 自ら正義と信ずるものを広げるとき、「誠意」にかなうものはない。これが世界共通の結論である。
「要領」や「巧さ」ではない。「誠意」である。

●リーダーは敏感であれ
 一、若い皆さんは、来日に際して、経済的にも、さぞかし大変だったに違いない。日蓮大聖人が、尊き皆様方をどれほどほめ讃えておられることか。その功徳は無量である。
 大聖人は、遠方から訪れた門下を、だれよりも、何よりも大切にされた。リーダーは、この心を忘れてはならない。
 皆が疲れていないかどうか、敏感であることだ。手取り足取り、丁寧に、よき方向に導き、励ましてあげるのだ。これがリーダーの責任である。
 大聖人は、求道の人々に仏法を語ることを、喜びとされていた。
 「佐渡の国の行者が数多くこちら(身延)まで来られたので、今、日蓮が弘通する法門を説き聞かせました。未来までの仏種になるでしょう。これはみな釈尊の法恩であり、ありがたいことです」(御書1486ページ、通解)
 世界の皆さん、ありがとう! 本当によく来てくれました。帰りは、皆で送って差しあげましょう!
 〈参加したSGIメンバーが、名誉会長に向かって喜びの声をかけた〉
 ありがとう! 本当に偉い方々だ。SGIの皆さんの心には、「感動」がある。それが私はうれしい。
 今、大聖人の仏法の真髄を求め、遠い道のりをいとわずに集い合ったのが、若き皆さんである。これほど崇高な旅路はない。
 偉大な勝利の人生である。行動である。
 ここにこそ、皆さん方の一家眷属が、子孫末代まで隆々と勝ち栄えゆく無限の希望の種がある。
 そして、それぞれの国・地域の広宣流布が永遠に前進しゆく、栄光の大発展の種がある。
 きょうは、世界広宣流布の第2幕の「大勝利の未来」が始まった。その晴れ晴れとした宣言の、出発の幹部会である(大拍手)。

●「目的を忘れたら腐敗する」
 一、ここで、戸田先生の指導を紹介したい。
 特に若い人たちは、戸田先生のことをあまり知らないと思う。だからこそ、先生の話を伝えておきたいのだ。
 私は、戸田先生が言われたことは全部、書き残してきた。すべて、先生が言われた通りに行動した。
 先生は「私は、本当にいい弟子をもった」と最高に満足しておられた。
 私がいなかったら、戸田先生はない。また、戸田先生がいなかったら、牧口先生もない。これが本当の師弟である。
 戸田先生は、それはそれは厳格だった。悪に対する怒りは、すさまじいものがあった。
 先生は言われていた。
 「邪な坊主こそ、最高の幸福たる成仏を阻む大悪人である」
 まさしく、今の邪宗門は、その典型である(賛同の大拍手)。
 戸田先生は、悪い坊主の本質を、鋭く見破っておられた。
 先生は、述べておられた。
 「なぜ宗門の堕落が始まり、腐敗していくのか。それは、広宣流布という至上の目的に生きることを忘れているからなのだ」
 その通りだ(会場から賛同の大拍手)。
 さらに、先生の指導を紹介したい。
 「多くの坊主が考えていることは、保身であり、私利私欲をいかに満たすかだ。つまり、欲望の虜となり、畜生の心に堕してしまっているのだ」
 「断じて坊主の家来になるな! 陰険な宗門に左右されるな!」
 「宗門が金を持てば、必ず信徒をいじめるぞ」
 「宗門は、神秘性とか荘厳性とか、深遠そうなイメージで、信徒に頭を下げさせるシステムになっているのだ」
 また、こう厳しく述べておられた。
 「坊主の仕事は本来、衆生を成仏させることだ。しかし、一体、自分自身が成仏できるかを考えたことがあるのか!」(大笑い、賛同の大拍手)

●「恩知らずから堕落が始まる」
 一、先生は、当時からこう戒めておられた。
 「坊主には絶対にだまされるな。日蓮正宗も同じだぞ。御本尊と御書以外は信じてはいけない」 その上で、広宣流布の大精神に立って、宗門を最大に外護された。
 先生の後を継いだ私も、宗門の発展のために力を尽くした。
 私の時代に行った御供養だけでも、どれほど莫大なものになるか。“これほど尽くした人間は、いない”というほど、さまざまな形で尽くし抜いた。
 このことは、御本尊の前で明確に言い残しておきたい(大拍手)。
 さらに、先生の指導を紹介したい。
 「広宣流布の大闘争に、少しなりとも邪魔だてする坊主があれば、青年は決起して鉄槌を加えよ」
 「宗門は、金がたまれば、必ず威張り、贅沢をする。それどころか、広宣流布を断行しゆく正義の団体である学会に嫉妬し、敵対してくるだろう」
 まさにその通りになった。御供養を取るだけ取って、日蓮大聖人に違背した邪宗門の罪は、あまりにも大きい。
 戸田先生は、本当に鋭かった。
 私は、これまで世界の多くの学者と語り合ってきた。しかし先生は、どんな学者にも増して鋭かった。偉大だった。天才的な指導者であった。
 また、先生はこう述べておられた。
 「宗門は、学会から離れるならば、大聖人の正義を踏みにじった、謗法の宗でしかなくなってしまう」
 「恩知らずの坊主ども、不知恩の元政治家ども、そして元幹部どもなどに、この崇高な学会を乱されてたまるものか!」
 「会員が喜び、希望に燃えるように、指導できる幹部になれ!」
 「恩知らずから、魔が動く。恩知らずから、堕落は始まる。恩知らずから、畜生になる」
 すべて、後世のために伝え残しておきたい(大拍手)。

■ 一、創価学園の創立は、牧口先生、戸田先生の悲願であった。
 私は、毎年、学園の創立記念日の「11・18」を迎えるたびに、両先生に、大発展の様子を報告してきた。
 この学園が原点となって、創価大学、そしてアメリカ創価大学、さらに海外の創価幼稚園なども、発展してきている。
 アメリカ創大を卒業した学園生は、世界第一級の大学院にも雄飛している。〈米ハーバード大学、エール大学、英オックスフォード大学、ケンブリッジ大学など〉
 わが創価は、教育で勝った! 人材で勝った! これからも、世界平和のために「人材の大城」を永遠に栄えさせていきたい。
 学園の教職員の皆さん、どうか、よろしく頼みます!(大拍手)

●戸田先生の慧眼
 一、先ほども申し上げたが、戸田先生は、かねてから、宗門に巣くう悪の本質を鋭く見抜かれていた。
 戦後、学会が宗門とは別個の宗教法人になったのも、戸田先生の英断であられた。〈学会の宗教法人の設立に強く反対したのが日顕であった〉
 ゆえに、いくら日顕宗が、一方的に”学会を切る”などと騒いでも、学会はもとより独立した宗教法人である。何の社会的な影響力もない。
 反対に、邪宗教と化した宗門は、大聖人から破門され、愚かにも衰亡の坂を転げ落ちていったのである(大拍手)。
 戸田先生の打たれた手はすごかった。きちっと学会は守られてきた。
 この仏意仏勅の学会を絶対に甘く見たり、軽く見てはいけない。

●励ましの声を!
 一、学会のリーダーには、見栄や格好はいらない。ありのままの裸の人として、どれだけ動き、どれだけ語り、皆の心に入ったか。戦いの結果を残したか。それが大事である。
 「声仏事を為す」(御書708ページ)である。
 いい声、変な声、ドラ声──声もさまざまである。
 抑揚のない単調な声の人もいれば、まるで悟りを得たかのような澄ました声の人もいる。
 リーダーならば、真剣な祈りを込めた「温かな声」「励ましの声」「正義と真実の声」を友の心に響かせていくのだ。
 ツンとした冷たい感じでなく、頭を低くして、皆にうんとよくしてあげるのだ。
 皆が喜んで、「こんなところにまで」と感嘆するくらい、こまやかに気を配っていくのである。
 人間なのだから、人間の中に入っていくのだ。同じ人間として、皆と平等にスクラム組んで進んでいくのだ。
 一人が尊い。一人を大切に──これが学会精神である。仏法の智慧は、民主主義の根幹を成しているのである。

●弟子の戦いをただ事でないと
 一、ここで御書を拝したい。
 大聖人の御在世、最愛の子どもを失うという悲しみを乗り越え、懸命に信仰を貫いていた夫妻がいた。この夫妻を大聖人は、最大に讃えられた。
 「あなた方は、人々が皆、憎んでいる日蓮のことをふびんと思われて、このように、はるばると、山の中まで種々のものを送ってくださいました。それも、一度や二度のことではありません。これは、ただごとではない。ひとえに、釈迦仏が、あなた方の身に入れ替わられたのでしょうか」(御書1397ページ、通解)
 大聖人は、門下の信心の素晴らしさを、また、師匠を守る「弟子の戦い」を、「ただごとではない」と讃嘆しておられる。よくよく銘記したい御文である。
 戸田先生は叫ばれた。
 「一番大事なのは、弟子である」
 このとき、その場にいた者は、皆、シーンとして厳粛な空気が流れた。
 さらに先生は言われた。
 「弟子で未来が決定する。弟子が偉いから、師匠が仰がれるのだ」
 先生の一番の急所の指導であった。
 これが人生の真髄である。これが仏法の真髄である。
 この戸田先生の師子吼を、私は、わが青年部に、そのまま贈り託したい。
 一、「師匠」と「弟子」という仏法の厳粛な関係を明快にし、教えたのが創価学会である。師弟が仏法の縮図である。
 慢心の人間には、この師弟が分からない。ゆえに、仏法が分からない。

●本門の弟子よ立ち上がれ!
 一、ご存じのように、法華経の「本門」には、「迹門」とは一変した「師弟の世界」が展開されている。それは、久遠の弟子である地涌の菩薩の登場で始まる。
 本門の涌出品第15においては、地涌の菩薩の代表である四菩薩が、師の釈尊に対して、「世尊が、今、救おうとされている者たちは、たやすく導くことができるでしょうか。世尊を疲れさせてはいないでしょうか」等とお聞きしている。
 一心に師を思い、師を案ずる地涌の菩薩の姿が描かれているのである。
 「師匠をお守りする」
 「師匠とともに戦う」
 「師匠のために勝つ」──この一念の祈りと戦いに徹しゆくときに、仏に等しい力が湧き出ずるのだ。
 それを履き違えて、師弟を疎かにするならば、学会精神が蝕まれ、信心が蝕まれていくのである。「師弟相違せばなに事も成べからず」(御書900ページ)と仰せの通りだ。

● 一、長時間ありがとう! ご苦労さま! どうかお元気で!
 力強く、朗らかに、悠々と人生を歩んでいってください。
 今、お金があってもなくても、長い人生から見れば、大したことではない。この信心を貫くならば、
最後に幸福になることは、絶対に間違いない。
 全員が勝利者になることが、広宣流布なのだ。
 とくに海外の皆様、遠いところ、本当にご苦労さま! 心から感謝します。
 お幸せに! ありがとう!(大拍手)