投稿者:ジョーカー 投稿日:2016年 8月12日(金)11時16分54秒   通報
学会活動における勝利の要は、長を「守る」という一念であるが、それと同時に大事なことは、長を「守りすぎない」ことである。未熟で力不足の長に対しては、包容し、支えていくことが、人間(創価)の世界である。誰もが人間革命の途上なので、ある程度のことは、大目にみることが肝要であることは言うまでもない。

その一方で、長を守りすぎるとどうなるのか。すべて包容してしまうと、本来、改善すべき組織の問題点や、今、本当にすべきことが蔑になる場合がある。長を守るが故に、言うべきことも言わず我慢し、起きている問題を先延ばしにすることは、還って会員を苦しめることにつながってしまうから要注意である。やさしさと厳しさの両方が備わってはじめて、広宣流布を推進することができるのだ。況や、傲慢な幹部(悪)に対しては、いくら長だとしても、守ることは危険である。なぜなら、傲慢というものは、守れば守るほど、増長するからである。

師弟の宝冠VOL.5より
「悪は早く見抜け!悪は早く追い出せ!絶対に『後回し』にしてはならない。広宣流布を妨げる動きは、断じて排するのだ。隙を見せてはならない。悪が威張り、増長すればするほど、学会が行き詰まってしまうからである。」

長を守ること、団結することを逆手に取り、その心を利用するのが悪である。必ずしも、長を守る人が善い人でも、正義でもない。悪を守れば悪になる。組織であるが故に、会長はじめ、そこにいるリーダーを中心に戦いを展開していくのは当然ですが、いざという時には(道を踏み外す、先生の指導と違う等)、諫言する姿勢を持ち続けなればならない。長を守ることは強さであるが、長を守りすぎることは弱さにつながる。

創価学会はどこまでいっても、「会員の幸福」が根本である。だからこそ、会員を蔑にする組織主義は許さないし、それを生み出す傲慢な幹部に対しても手厳しい。会員の浄財で生活する本部職員に対しては尚更である。さらに、最高幹部に対しては、「人間革命の途上」という言葉では片付けられない。会員を指導し、善導する立場の人間が、そんな意識では、話にならないからだ。仏意仏勅であり続けるということは、大変なことなのだ。

長を守りすぎることは慈悲魔である。人も組織も、守られすぎるとダメになる。そして、傲慢を守ることは悪を増長させる。このことを意識し、見極めていくことが重要である。それを英知といい、決して愚かであってはならない。長を守ることは素晴らしいことではあるが、それだけが善とされ、一人歩きすることは恐ろしい。人のやさしさを利用するのが魔王であり、だからこそ見分けがつかない。

体制側の人間は、体制側を、必要以上に守りすぎてしまう傾向にある。それが隠ぺい体質へとつながり、会員を苦しめることになる。外に厳しく、身内に甘いのが人間の性ではあるが、そこを乗り越えてこそ仏法者である。 現代は、情報化社会であり、瞬時に世界がつながれる時代。それはオープンを意味し、隠ぺいなど時代遅れそのもの。隠すことは不可能な現代において、本物だけが光り輝くことができる。賢者はそれをチャンスと捉え、愚者は、「広宣流布を妨げる魔」と捉える。

内部の悪(毒)を見つめ、いかに変毒為薬していくか。あらゆる組織は、自分たちの負い目は隠し、何も問題がないかのように振るまう傾向にあるが、創価学会はそうではいけない。なぜなら、自分自身と向き合うことが内道であるからだ。外ばかりに目がいくのは外道の発想である。隠ぺいできない時代だからこそ、創価が光輝く時なのである。