2016年8月4日 投稿者:まいえっくす爺 投稿日:2016年 8月 4日(木)02時19分25秒 通報 全国最高協議会での名誉会長のスピーチ(1) 07.08.08聖教新聞 皆に『喜びを与える』のが指導者 青年を育てよ! 正義の炎を未来へ 真剣と誠実は勝利! 要領と口先は敗北! 一、はじめに、上半期の全同志の奮闘に、最大に感謝申し上げたい。本当に、ご苦労さまでした。ありがとうございました(大拍手)。また、伝統の夏の最高協議会の開催、ご苦労さまです。 広宣流布のために、次の戦いを、しっかりと勝つように、心一つに打ち合わせを進めてまいりたい。「勝つ」ことが、全会員の喜びであるからだ。 そしてまた、「勝つ」ことが、広宣流布が進むことであるからだ。 仏法は勝負である。勝たねばならない。 勝つことで、子孫末代も幸福になる。 勝ち抜いた福徳は、親から子へ、そして未来へ永遠に伝わっていくのである。さあ、創立80周年(2010年)へ新たな出発である。 断じて勝とう! そのための最高協議会である(大拍手)。 一、「真剣」と「誠実」は勝利である。 「真剣」とは、環境や状況がどうあれ、わが責任を果たし抜くことである。 「誠実」とは、だれが何と言おうが、自分が犠牲になって、勝利に尽くしていくことである。 その通りに、私は行動してきた。 最も大変なところで、常に勝利の証しを打ち立ててきた。 苦労は自分が 一、「要領」と「口先」は敗北である。 叱ったり、号令をかけるのは、指導者ではない。親分だ。 苦労は自分が背負って、皆は楽にさせてあげる。 学会を守る。一生懸命に戦ってくださっている会員を大事にする。 それが指導者である。この「正しき道」を最高幹部がつくっていってもらいたい。 人を動かそう、人にやらせよう──その怠惰な命は叩き切っていく以外にない。根本の魂を変える以外にない。 人の心をつかむ人が、指導者である。 皆を喜ばせてあげる。 元気にさせてあげる。 それが本当の指導者である。 指導者は同志に好かれることが大事だ。 「いつもありがとうございます!」「本当にご苦労さまです!」と頭を下げて、同志を讃え、感謝を伝えていくことである。 広布に戦う学会員ほど、尊い存在はない。 だれもが等しく大切な「仏子」である。 この尊き司志を守ろう! 真剣な同志に応える戦いをしよう!──その心がある人が伸びていくのだ。 反対に、同志を軽んじたり、広布の和合僧である学会を私利私欲のために利用する人間の末路は厳しい。 御聖訓に説かれている通りだ。 弟子が立て! 一、「『師弟』を知った人は、真実の人間である。 まっとうな人間の世界は、すべて『師弟』があるのだ。 そして、その人は、勝利の人生を歩む。 『師弟』をおろそかにする者は、畜生の世界である」 これが牧口先生、戸田先生の確信であられた。 私も青年時代から、戸田先生に仕え切った。 戦後間もなく、戸田先生の事業が挫折。 再建の見通しはなく、大勢の借金取りに追われ、先生のご心痛は、どれほどであったか。まさに地獄であった。 その時、私が一人、師子奮迅で立ち上がり、戸田先生の事業を支えた。 何カ月も月給はもらえない。 もらえないどころか、私が何とか工面して、また、私と妻の実家にもお願いして、戸田先生をお守りしたのである。 それから考えれば、皆は恵まれている。 偉大な戸田先生を貶めようと、悪意のウソを書き立てる人間もいた。 戸田先生を師匠と思えない慢心の幹部もいた。 そうした輩と、一切の妥協なく、戦い抜いたのも私である。 私は祈った。 ──広宣流布の真実の指導者は、戸田先生しかいらっしゃらない。 断じて戸田先生に次の会長になっていただくのだ。 そのためなら若い私は、どんなに犠牲になってもかまわない。 絶対に私が戸田先生を会長にするのだーと。 そして、昭和26年(1951年)の5月3日、戸田先生は、晴れて第2代会長に就任された。 新たな前進へ! 〝鍛えの夏〟が到来 「勝つ」ことが広宣流布 リーダーは 自ら戦い 同志を守り抜け 先生は勝った! 弟子も勝った! 先生は、すべて分かっていてくださり、「悪いな、大作。ありがとう、大作」と涙を流されたのである。 さらに私は、生涯をかけて、戸田先生の偉業を全世界に宣揚してきた。 古代ローマの哲学者セネカは綴った。 「賢者が偉大である理由は何か。偉大な魂をもっているからだ」(大芝芳弘訳『セネカ哲学会集5』岩波書店)と。 創価学会の偉大なる「師弟の魂」を、心賢き皆さんに受け継いでいただきたいのである。 言葉の励ましから最高の力が 一、青年時代、私は戸田先生のもとで多くの古典や文学作品を学んだ。吉川英治氏の『三国志』も、その一つである。 ある時、先生が「諸葛孔明の、あの言葉はよかったな」と言われて、次の一節を紹介されていたことがある。 「言葉をもって励まして、初めて責任も一層強く感じ、相手の認識も新たにすると申すものです」(講談社) 孔明が、主君である劉備玄徳に対し、部下への接し方について述べた言葉である。 「大丈夫だろう」「わかっているだろう」では危ない。大事なことは明快に声に出して伝える。励ましを送る。 そうであってこそ、相手は深い責任感に立って、最高の力を発揮することができるのである。 私は「その通りだと思います」とお答えした。 どんな時でも、文学や哲学をめぐって、師弟の語らいは花が咲いた。 知っていることは、すべて教えておきたい──先生は、そういう思いで私に万般の学問を授けてくださった。日々の語らいも、すべてが訓練であった。本当に偉大な師匠であった。 青年を育てる。青年を偉くしていく。それが本物の指導者である。 戸田先生は、徹して青年部を大事にされた。婦人部を大切にされた。 若い人や女性を手下のように使って、軽んじる──それは真実の指導者とはいえない。 一、中国の古典である『貞観政要(じょうがんせいよう)』には、こう記されている。 「始めにおいて勤めなければ、終わりに悔いることがありましょう」(原田種成著『新釈漢文大系第95巻』明治書院) 何事も、真剣に努力して取り組まなければ、満足する結果を得ることはできない。最後は後悔しか残らないであろう。 特に青年部の皆さんは「私は全力を尽くした」と言える、完全燃焼の青春を生き抜いていただきたい。 行き詰まったら題目をあげよ 一、現在、全国の会館や研修道場では「夏季フリー研修」が活発に行われている。 また、各地で人材グループなどの代表による研修が予定されていると、うかがっている。 夏の研修会は、創価学会の偉大な伝統となっている。 牧口先生の時代には、昭和11年(1936年)8月に、第1回創価教育学会修養会(研修会)が開催された。 以後、牧口・戸田両先生が投獄される前年の昭和17年の夏まで、毎年、行われたのである。 この研修会では、朝はラジオ体操を行ったり、夜は座談会を開催したりするなど、心身錬磨の研修が活発に進められた。牧口先生にとって、本山(大石寺)で開催する研修会は、烈々たる「破邪顕正」の闘争の場であった。 昭和16年の研修会では、牧口先生は「法罰論」を誹謗する宗門の坊主の邪義を、厳しく破折されている。 先生は、宗門の坊主の臆病な主張を破折して、師子吼しておられた。 「御本尊は偉大な力がおありになる。罰なくして、大利益があるわけがない」 「御本尊をじっと拝んでみよ。『若し悩乱せん者は頭七分に破れん』との御本尊のおおせが聞こえないか。御本尊が罰をおおせではないか」 烈々たる大確信の叫びであった。 偉大なる師弟の魂を受け継げ 私たちには、偉大な御本尊がある。 行き詰まったら、まずは題目をあげることだ。祈って、最高の智慧を湧きいだす。そして行動していく。 乗り越えられない困難など、絶対にないのだ。 一、戸田先生もまた、出獄された翌年、昭和21年8月に戦後第1回となる学会の夏季講習会を開催された。 ここでは御書講義、質問会、座談会などが行われている。 以後、逝去の前年となる昭和32年の夏まで、毎年の伝統として、こうした講習会を実施された。 この夏の研修を一つの前進のリズムとして、75万世帯の弘教達成への上げ潮はつくられていったのである。 さらに戸田先生のもと、男子部の精鋭による「水滸会」の野外研修が行われたことも忘れ得ぬ思い出である。(昭和29年9月、奥多摩の氷川キャンプ場、昭和30年6月、山梨の河口湖・山中湖で) 私は、こうした伝統をさらに発展させ、夏の研修や夏季講習会を通して、人材の育成に全力を注いできた。 原点に立ち返れ 一、水許会の野外研修の際、キャンプファイアーの燃え盛る炎を指さされ、戸田先生はこう語られた。 「この燃える薪は、私たちの生命である。そして信心の炎であり、学会精神である」 先生は、一回一回の研修に全魂を注いでくださった。〝広宣流布の炎〟を断じて青年に託すのだとの思いで、一つ一つ訓練してくださった。 先生のご指導は、すべてが遺言のごとく、私の胸に焼き付いている。 また、同じく野外研修の際に、バンガローや旅館では勤行・唱題が思うようにできないことから、「将来、思う存分に、信心と人生の鍛錬をする所が必要である」と述べておられた。 現在、日本中、そして世界中に、数多くの学会の会館や研修道場が設立されている。 私が、こうした施設の建設に力を注いできたのも、恩師の願いを実現したいとの思いからであった。 いよいよ〝鍛えの夏〟本番である。 まずは最高幹部が団結し、新たな勝利のために真剣に協議していくことだ。もう一度、原点に立ち返って、自身の信心を磨き抜いていくことだ。 十分に英気を養いつつ、さらなる前進への万全の土台を築いてまいりたい(大拍手)。 (2007・8・6) 全国最高協議会での名誉会長のスピーチ(2) 07.08.09聖教新聞 わが勝利劇の火ぶたを切れ キング博士 断固たる勇気ほど素晴らしいものはない 鍛えなくして成長なし 戸田先生 訓練を受けた人は延びる 苦労した人が幸せになる 一、「今こそ勇気が、今こそ確固たる心が必要だ」(大芝芳弘訳『セネカ哲学全集6』岩波書店) 古代ローマの詩人ウェルギリウスの言葉である。 人生には、さまざまな試練の時がある。 広布の途上には、いくつもの困難な山がある。 そこを勝ち越えれば、新しい世界が、大きく広がっていく。未来が、晴れ晴れと開けていく。 そのために、最も大切なものは何か。 それは「勇気」である。 逆境に揺るがぬ「確固たる心」である。 未来は今の行動で決まる アメリカの人権闘争の指導者、マーチン・ルーサー・キング博士は、公民権運動の歴史を大きく開いたモンゴメリーのバス・ボイコット運動で、ともに戦ってくれた同志を見て、こう語った。 「断乎とした勇気よりもすばらしいものは世に何もない」(雪山慶正訳『自由への大いなる歩み』岩波書店) いわんや私どもには、究極の信仰がある。宇宙大の仏法を持っている。何も恐れる必要はない。 強く、強く、生き抜いていくのだ。攻撃精神を忘れてはならない。 戸田先生は、よく言われていた。 「闘争を開始するからには、それだけの準備と決意と闘魂をもって、断じて勝つのだ!」 インド独立の父、マハトマ・ガンジーは叫んだ。 「未来は、私たちの今の行動にかかっている」 「未来」のために「今」を勝とう! ともに、心新たに出発しよう!(大拍手) 不正義に対する女性の怒りを! 一、私は現在、アルゼンチンの人権の闘士で、ノーベル平和賞を受賞したエスキベル博士と対談を続けている。〈題名「人権の世紀へのメッセージ──〝第三の千年〟に何が必要か」。『東洋学術研究』で連載中〉 博士は、女性の役割を重視し、SGI(創価学会インタナショナル)の女性の活動にも、平和建設への大いなる希望を見いだしてくださっている。 対談で、博士は述べておられた。 「不正義に対する女性の怒りほど強いものはありません」 「女性が沈黙を破り、良心によって立ち上がれば、世界がよりよい方向へ変わっていくことは間違いありません」 学会はさらに、婦人部、女子部が、大いに力を発揮できる環境をつくっていかねばならない。 女性が伸びれば、学会は、もっと発展する。広布は拡大する。 皆が同志として互いに尊敬し合い、楽しく前進していくのだ。 一方、偉ぶる人間に対しては、厳しく戒めていかなければならない。 大聖人は、池上兄弟に仰せである。 「二人が一体で進む姿は車の両輪のようなものである。鳥の二つの翼のようなものである」(御書1108㌻、通解) 異体同心の団結で進もう! 頑張ろう!(大拍手) 一、先日、フィリピンの国立南東フィリピン大学から、「名誉教育学博士号」授与の決定通知をいただいた。心から感謝申し上げたい(大拍手)。 〈同大学のオルティス学長は語っている。 「池田博士への名誉学位記の授与は、世界に向けての博士の有益なご貢献に対する賞讃にほかなりません。博士の国籍は『世界』であり、博士を顕彰させていただくことは、わが大学の最高の栄誉です」 名誉会長が受けた世界の大学・学術機関からの名書学術称弓は、現在、218にのぼっている〉 知性の世界からの顕彰は、最高の誉れである。 私は、各国からの栄誉を、その国からの信頼の証しとして謹んで拝受している。 また、それぞれの国で、懸命に社会貢献に尽くしておられるSGIの同志の励みとなれば、本当にうれしい。 「良き弟子を持って幸せだ」 一、青春時代、私は学校での勉学を断念せざるを得なかった。師匠・戸田先生をお守りするために、すべてを捧げて尽くしたのである。 戦後の最大の苦境の中で、戸田先生は、「私のそばにいてくれ」と言われた。そして、「そのかわりに、俺が全部、教えてやろう」と言ってくださった。 そのお言葉通り、毎週、日曜日になると、先生のご自宅に呼ばれ、一対一の講義を受けた。勉強の合間には、先生自ら食事を用意され、ふるまってくださることもあった。 私は、この「戸田大学」で、あらゆる学問を教わった。 やがて日曜日だけでは時間が足りなくなり、戸田先生の会社で、毎朝の講義が行われるようになった。それは、先生のご逝去の直前まで続けられた。 戸田先生は、ご自身の命を削られるように、自分の持てるすべてを、弟子である私に授けてくださったのである。 師匠とは、なんと、ありがたいものか。師弟とは、どれほど麗しいものか。 世界から贈られる知性の栄冠は、「戸田大学」で受けた訓練の結晶である。そう私は確信している。 これが創価学会の師弟である。 私は、戸田先生を仏のごとく敬い、先生に仕え抜いた。 だれが大聖人の御遺命のままに、広宣流布を推進しているのか。だれが三類の強敵と戦っているのか。それは戸田先生だ! この偉大な師匠を命にかえてもお守りするのだ! それが私の囲い決意であった。 「先生!」「先生!」と叫んで最後の最後まで生き抜く。これが真の弟子の姿である。 「私の人生は、良き弟子を持って、本当に幸せだった」 戸田先生は、そう言ってくださった。 創価の女性の時代! ノーベル平和賞 エスキベル博士 女性が沈黙を破り、良心によって立てば、世界はよりよく変わる 全部、自分のため 一、戸田先生は、広宣流布の未来のために、一人一人の幸福のために、青年を徹底して訓練してくださった。 「人材は訓練しなければ人材とはならない」 これは、恩師・戸田先生の、絶対の確信であられた。 こうも言われていた。 「訓練なくして、偉大な人生を歩んだ人は一人もいない」 「訓練を受けた人間、苦労した人間しか、信用できない」 「苦労したほうがいい。苦労したほうが幸せである。全部、自分のためになる。苦労しない人は、鍛えられず、必ず最後は弱き人間になり、不幸に堕ちる」 まったく、その通りである。 人よりも苦労した人、求めて訓練を受けた人、その人が最後に光る。幸福をつかんでいける。 訓練である。訓練を受けていない人は、いざという時に、力を発揮することができない。 では、真の訓練とは何か。それは信心を磨くことである。 折伏の力、対話の力を鍛え抜くことが、最高の訓練である。 戸田先生は言われていた。 「信心、折伏、人材としての訓練や指導を、きちんと受けた者は、皆、立派に伸びている」 「金剛石(ダイヤモンド)は、磨かなければ、それが金剛石であることすら、分からない。真剣勝負で、信心を磨くことだ。そうすれば、無量の福運を積むことは間違いない」 信心を貫いた人は、まさに、ダイヤモンドのごとき不滅の大福運をつかんでおられる。 反対に、責任ある立場にいながら、地道な信心の訓練を避け、戦いから逃げて、ずるがしこく振る舞う、そうした輩は、必ず、惨めな転落の人生となっている。 もしも、そのようなリーダーが増えてしまえば、学会は衰退してしまう。断じて、そうさせてはならない。 戸田先生は叫ばれた。 「大聖人の弟子は師子王の子の如し」 「師子の子は、鍛えれば鍛えるほどたくましくなる」 学会は、師子の集いである。 困難があるほど強くなる。圧迫されるほど勢いを増す。それが、師子の生き方である。 断固として一人立て! 「師子奮迅の力」を出せ! 強き心を奮い起こし、わが「勝利劇」の火ぶたを切ってまいりたい(大拍手)。 (2007・8・6) 全国最高協議会での名誉会長のスピーチ(3) 07.08.10聖教新聞 一人立てば万人に波動 心理学の綱引きの実験 人に頼ると力が出ない トインビー博士 〝自分は小さな存在〟と思うな 未来のための連日の協議、本当にご苦労さま! 後継の友に伝えるべき、一番、大事なことは何か。 それは、崇高なる師弟の魂である。 創価の師弟の誉れの歴史である。 古今東西、正義の人は、正義なるがゆえに迫害されてきた。 だからこそ、「正義が勝つ時代」を開かねばならない。 迫害の構図を鋭く見抜くのだ。そこに渦巻くのは嫉妬であり、慢心であり、私利私欲である。 昭和54年(1979年)の第1次宗門事件も、そうだ。堕落した坊主と、忘恩の反逆者が結託して、正義の学会を乗っ取ろうとした。 どれだけ卑劣であり、陰険であったか。 しかし、私は微動だにしなかった。 ──私は師子だ! 戸田先生の弟子だ! 師匠を信ずるということは、師匠の言う通りに実践することだ。 師弟に生き抜けば、恐れるものなど、何もない。 御聖訓には「大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし」(御書1448㌻)と仰せである。 私は訴えたい。 後継の君たちよ! 人ではない。自分だ。富士のごとき、不動の自分をつくるのだ。 いかなる嵐があろうとも、師子として叫べ!師子として戦え! 永遠に勝利の道を開きゆけ!(大拍手) この世で最も誠実な関係 一、現在、私は中国の著名な歴史学着で、「史学大師《しがくだいし》」と仰がれる章開沅《しょうかいげん》先生(華中師範大学元学長)と対談を進めている。 章先生の座右の銘の一つは、「薪火相伝(しんかそうでん)」という言葉である。中国の古典『荘子』に由来する言葉で、「薪は自らを燃やすことによって火を伝えていく」という意義である。 この言葉に触れ、章先生は、次のように語ってくださっている。 「創価学会において、牧口先生から戸田先生へ、戸田先生から池田先生へと、三代の会長に平和の信念が厳然と受け継がれてきたことは、まさに『薪火相伝』と呼ぶにふさわしい壮挙であります」 深いご理解に、心から感謝申し上げたい。 章先生は、「師弟の精神」をこよなく大切にされている。対談の中でも、次のように繰り返し語っておられる。 「人間を育てる教育にとって最も尊ぶべきは、師弟の間における思想の交流です」 「師匠と弟子、教師と学生の関係は、この世で最も純潔にして、最も誠実かつ高尚な関係です」 章先生の言われる通りだ。 師弟が根本である。この精神が崩れれば、団体も、個人も、衰亡していく。反対に、師弟の精神ある限り、どこまでも発展し、成長していける。 師弟の魂を失った者は、すでに心が死んでいるのである。 「最も哀れなのは心の死である」との警句を章先生は綴っている。 形式ではない。格好ではない。「心がどうか」なのである。 激動の時代を勝ち抜くには 一、激動の時代の中で勝ち抜いていくための要件は何か。 もちろん、さまざまに分析できるが、ポイントの一つは、「人に頼る心を捨てる」ことではないだろうか。 運動会の伝統の競技「綱引き」に関連した興味深い実験がある。 一人で綱を引く場合と、大勢で綱を引く場合とでは、力の出し方が、どう違っていくかを調べたものである。 綱を引く人数が増えればどうなるか。結果は、人数が増えれば増えるほど、一人一人が出す力は減っていく。 一人の時に出す力を「100」とすると、8人で綱を引く場合には、一人が出す力は「50」以下になってしまうというのである。 共同作業をする人数が増えると、「一人」の出す力が減っていく。こうした現象を心理学用語で「社会的手抜き」と言う。実験をした人の名前にちなみ、「リンゲルマン効果」とも呼ばれる。 〝人に頼る心〟がある限り、自分のもっている大きな力を出し切ることはできない。 力を出し切ってこそ、厳しい現実に勝つことができる。 学園での思い出 一、「綱引き」といえば、関西創価学園の健康祭(体育大会)を懐かしく思い出す。 17年前の平成2年(1990年)10月のことであった。 私が学園に到着し、グラウンドに入ったとき、ちょうど綱引きが始まろうとしていた。 私はすぐさま、子どもたちのもとへ行き、一人一人を激励した。 綱の最後尾まで、一人一人に声をかけて歩いた。そして、大熱戦に声援を送った。皆のきらきらした笑顔が、ひときわ印象的だった。 この綱引きに参加していた児童は、今、公認会計士や、パイロット、母校の教員、さらに、新幹線の女性車掌など、各界に雄飛している。 創価の青年リーダーとしても、多くの友が活躍している。 これほど、うれしいことはない。 わが人生の総仕上げを 若々しく青年の心で 目の前の人に励ましを 一、イギリスの大歴史家トインビー博士は述べている。 「勝敗の定っていない闘争においては、これに加わる一人々々が重要である。自分がすることあるいはしないことの結果はあまりにも小さいので目立った違いは生じないであろうという弁解のもとに、全力を尽くしておのが役割を演じることを免れる権利は、なんびとにもないのである」(山口光朔・増田英夫訳『回想録1』社会思想社) 「一人」が大事である。 本物の「一人」が立てば、「万人」の勝利と幸福につながる。 人数が多いかどうかではない。一人でも、二人でも、真剣な人がいれば、全体に大きな波動を起こすことができるのだ。 リーダーは、目の前の「一人」、自分が縁した「一人」を、全力で励まし、伸ばしゆくことだ。 ほしいのは「人材」だけ 一、今や学会は、平和を築く、世界一の民衆の連帯をつくり上げた。 私は、何も、ほしくない。ほしいのは「人材」だけである。 力あるリーダーが必要だ。リーダーが愚かであれば、インチキな悪人にたぶらかされる。怖いことである。 これまでも、学会のおかげで偉くなりながら、社会的地位や権勢に目がくらみ、堕落し、反逆していった悪らつな人間たちがいた。 彼らは皆、〝自分は手を抜いて、楽をして、苦労は全部、人に押しっける〟──こういう卑しい心根であった。 その本性は、思うように他者を支配し、従わせようとする「権力の魔性」にほかならない。 同志を苦しめる〝地獄の使い〟だ。広宣流布を妨げる〝魔物〟の存在である。 そうした「一凶」の心を、徹して断ち切っていかねばならない。 人間革命の哲学 一、先輩は、模範を示すことだ。人生は仕上げが大事である。途中で手を抜き、退転してしまえば、結局、後悔と苦しみの人生となってしまう。 もう一度、若返って、青年とともに、青年の心で進むのだ。 先輩が旧態依然とした姿では、青年部が伸びない。女子部がかわいそうだ。 私は、これまで、いかなる戦いにおいても、全身全霊を捧げて戦ってきた。手抜きをしたことなど、一度たりともない。 だからこそ、勝利の歴史を開いてくることができたのである。 ともあれ、一人一人が、自分の力を思う存分に発揮する。皆が、自分らしく、最大限に光り輝いていく。それが、創価の世界である。 勤行・唱題はもちろん、教学の研鑽、座談会、友との対話など、学会の活動は、「一人一人を変革しゆく、尊き挑戦である。 私たちは、一人が無限の力を発揮しゆく「人間革命」の哲学を掲げ、堂々と進んでまいりたい(大拍手)。 (2007・8・7) 全国最高協議会での名誉会長のスピーチ(4) 07.08.11聖教新聞 9月から 青年部が単独で全国幹部会 青年部幹部会の5つの指針 一「破邪顕正」の青年部幹部会 二「広宣流布」の青年部幹部会 三「師弟不二」の青年部幹部会 四「全員指導者」への青年部幹部会 五「日本の柱」の青年部幹部会 一、未来を開くのは、いつの時代も、勇気ある青年である。 昭和25年(1950年)の7月31日。 22歳の私は、日記に、こう記した。 苦境にあった戸田先生の事業を、ただ一人、阿修羅のごとく支えゆく、大闘争の始まりの時であった。 「炎暑の七月。この七月も、とうとう勝ち抜いた」 「(八月は)吾等の月だ。再び、若き情熱をもって頑張ろう。 理想に生きる青年らしく。 歓喜に燃える青年らしく。 人生、社会の波は高い。そして激しい。また、その山は嶮しい」 「正法を受持した青年が、断じて、進めぬわけがない。 行こう、勇敢に。そして、次の世界を開こう」 前へ、ただ前へ、進み続けた青春であった。 弟子の私は、命をかけて、先生をお守りした。偉大なる師を守ることが、学会を守り、同志を守ることであるからだ。 私が22歳の時、戸田先生は50歳──。 先生は、若い私を、それはそれは大事にしてくださった。 地方へ行く飛行機の中でも、どこへ行くにも、一緒であった。 一緒にお題目をあげ、一緒に御書を拝した。 天才中の天才の先生から、万般の学問を教わり、広宣流布のあらゆる構想を教えていただいた。 幸せな弟子であった。 勝利のリズムを 一、先生への報恩の心で、私もまた、青年を懸命に育ててきた。 その意義も込めて、きようは、男子部、女子部、学生部の諸君に、新たに青年部独自の幹部会を行うことを提案したい(大拍手)。 具体的には、「広布第2幕 全国青年部幹部」との名称で、毎月の本部幹部会と同じ意義を持つ、最重要の行事として取り組んでまいりたい。 第1回は、この9月に開催し、原則として、毎月行い、勝利のリズムを広げていってはどうだろうか(大拍手)。 壮年部、婦人部の首脳も応援してあげていただきたい。 この青年部幹部会に寄せて、私は、五つの指針を贈りたい(大拍手)。 一「破邪顕正」の青年部幹部会 二「広宣流布」の青年部幹部会 三「師弟不二」の青年部幹部会 四「全員指導者」への青年部幹部会 五「日本の柱」の青年部幹部会 広宣流布の未来も、日本と世界の将来も、すべて青年にかかっている。 青年の「熱」と「力」で決まる。 私も青年部幹部会の大成功を祈り、期待し、見守っている。 都合がつけば、ぜひ出席させていただきたいと願っている(大拍手}。 まことの時に本物が分かる 一、「報恩抄」の一節を拝したい。 「少しの罪もないのに、(法華経を弘めているために)たびたび大難にあう人こそ、仏滅後の法華経の行者であると知りうるであろう」(御書297㌻、通解)と。 現代において、この蓮祖の仰せ通りに、妙法ゆえの大難を受けきった人はだれか。 初代の牧口会長であり、第2代の戸田会長である。 お二人は、国家神道を精神的支柱とする軍国主義と真っ向から対決し、牢獄につながれた。 牧口先生は信念を貫かれて獄死。 戸田先生は2年間の獄中闘争を耐えに耐え抜かれた。 戸田先生以外の弟子たちは、皆、驚き、あわてた。多くは難を恐れ、退転していった。 「まことの時」にこそ、本物が分かる。信心が試される。 「石はやけばはい(灰)となる金は・やけば真金となる」(御書1083㌻)と仰せの通りだ。 日ごろは弟子を名乗りながら、手のひらを返すように、師を罵り、師が苦しむのを陰で笑った者もいた。臆病であり、増上慢であった。 これが歴史である。 弾圧の魔の手 一、戸田先生は鋭く語られた。 「戦後、日本は民主主義の国家になった。私や牧口先生を逮捕するのに使った、不敬罪や治安維持法もなくなった。そして、信教の自由も保障されるようになった。 しかし、権力の持つ魔性の本質は何も変わってない。それだけに、より巧妙な手口で、弾圧をすることになるぞ」と。 昭和32年の「大阪事件」では、私も、事実無根の選挙違反の容疑で不当に逮捕され、2週間にわたって拘束された。 権力の狙いは、戸田先生にあった。 取り調べの検事は、〝おまえが罪を認めなければ、戸田会長を逮捕するぞ〟と陰険な恫喝を浴びせてきた。 先生のお体は衰弱している。逮捕されれば命にかかわる。絶対に逮捕など、させてなるものか──。 恩師をお守りするために、私は、ひとたびは検事の言い分を認め、あとは裁判で無実を証明しようと決めた。 そして、4年半後、大阪で勝利の無罪判決を勝ち取り、すでに亡くなられていた恩師に、ご報告申し上げたのである。 歴史を忘れるな 一、第1次宗門事件では、第3代会長を辞任した。(昭和54年4月24日) さらにまた、国家権力による宗教弾圧の嵐も吹き荒れた。 多くの同志が心を痛め、私の正義を叫び、勝利を祈ってくださった。 しかし、かつての最高幹部のなかには、嵐の時に戦わないどころか、敵と結託して、私を陥れようとした反逆者もいた。 「怖いのは内部だよ」と言われた恩師の言葉を思った。 この歴史の教訓を、青年部は、断じて忘れてはならない。繰り返してはならない。 〝大難と戦う師匠〟を守るのが弟子である。 一、格好主義は、仏法の敵だ。 戦っている格好をする幹部──それが一番ずるい。 仏法は「不惜身命」である。死にものぐるいである。 創価学会には、「上」も「下」もない。 広布に戦う人が偉い。同志を守る人が偉い──これが出発であり、これが結論である。 学会を弾圧した者の末路を見よ 一、御聖訓にいわく。 「法華怪には、(法華経の)行者に敵対する者は、阿鼻地獄に堕ちる人であると定めている」(御書1389㌻、通解)と。 「法華経の行者」とは、だれなのか。 総じては、日蓮大聖人の門下として、人々の幸福のため、苦難に耐え、勇敢に妙法を弘めゆく学会員である。 我ら創価の師弟である。 さらに、御書を拝したい。 青年は強気でいけ 戸田先生「極悪を世に知らしめて責め抜け」 「仏の御使いとして、南無妙法蓮華経を流布しようとする人を、日本国の王臣ならびに万民などが、あるいは罵ったり、あるいは悪口を言ったり、あるいは流罪にし、あるいは打ち叩く。さらには、その弟子や眷属などを種々の難にあわせる。そのような人々が、どうして安穏でいられようか」(同265㌻、通解) 学会を甘く見てはいけない。同志を甘く見てはいけない。 学会は広宣流布の団体である。大切な仏の団体である。 学会に弓を引くことは、大聖人に師敵対することに等しいのだ。 さらに、御聖訓にいわく。 「始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」(同1190㌻)「彼の一門皆ほろ(亡)ぶるを各御覧あるべし」(同1413㌻)と。 大聖人は、法華経の行者を迫害した者の末路の厳しさを明確に説いておられる。 そのままの現罰・仏罰が厳然とあらわれていることは、皆さんがご存じの通りである。 再びの登攀を! 一、戸田先生は、権力をもって民衆をいじめる者には厳しかった。 「極悪を世に知らしめて、責めて、責めて、責め抜け! 最後まで!」と。 青年は強気でいけ! そして断じて勝て! 青年の勇気が新たな勝利の道を開くのである。 8月は青年の月だ。 青年の戦う魂が燃え上がる月だ。 わが青年部よ、私とともに、同志とともに、新たなる民衆勝利の峰へ、再びの登攀を開始しよう! 勇敢に! 快活に! 青年らしく! 青年部の諸君、よろしく頼む!(大拍手) (2007・8・8) Tweet