投稿者:無冠 投稿日:2016年 8月 1日(月)07時25分54秒   通報
全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2007-6-14 【「7.3」記念協議会】

■ 一、きょうは、お忙しいなか、ご苦労さま!
リーダーにとって、大切なことは何か。
それは、自分自身を日々、変革していくことである。
傲りや油断がある。進歩がない。そして、同志に対する慈愛の心がない──それでは真実の学会のリーダーとはいえない。
本当に戦っている人、成長している人は光っている。バッと見れば、わかるものだ。
さあ、きょうも一歩、前進を!
さあ、きょうも新たな価値の創造を!
この燃えるような決意で、新鮮な息吹で進むのだ。これが「創価」の人生である。
ロシアの大文豪トルストイは語っている。
「境涯の拡大は、理想に向かって前進する勢いを増し続ける中にこそある」
リーダーが停滞し、成長の息吹を失ってしまえば、組織全体が勢いを失ってしまう。
仏法の根本は師弟である。師匠に心を合わせる。師弟の熱き魂を叫び抜いていく。
そうすれば、もっともっと力を発揮できる。変わっていける。
すべて「心」で決まるのだ。気取った、増上慢の一念ではだめだ。
師匠に対して、「きょうも、新しい勝利の道を開きました!」と毎日、報告するような気持ちで戦うことだ。
若年寄のようになってはいけない。いつまでも若々しく、一兵卒の気概で、最前線に躍り出て戦うことだ。

●今を大切に!
一、トルストイは物語の中で論じている。
──最も重要な時とはいつか。
それは「今」である。
最も必要な人とは、だれか。
それは「今、出会っている人」である。
そして、最も重要なことは、何か。
それは「この人(今、出会っている人)に、善をなすこと」である。
確かに、その通りだ。
今、この時を逃して、未来の勝利はあり得ない。
今、縁を結びゆく一人一人を誠実に大切にすることだ。そして、今、なすべきことをなし、語るべきことを語り切っていくことだ。
ともあれ、トルストイは結論している。
「人生は、天国でもなければ、地獄でもない。戦いだ。絶え間ない戦いである。戦いにこそ人生がある」

■ 一、わが人生の戦いに、絶対に勝利していく究極の力──これが仏法である。信心である。
大事なことは、学会の世界、信心の世界から離れないことである。学会活動をやりきっていくことだ。
見栄を張ったり、世間体を気にしたりして、信心から離れてしまえば、最後は不幸である。幸福の軌道から外れてしまうからだ。
人生を勝ち抜き、絶対的幸福の境涯を築いていく。そのための信心である。学会活動なのである。
「広宣流布は私の生命であり、使命である」とは、戸田先生の不滅の宣言であった。
広宣流布の前進のためならば、いかなる労もいとわず、行動することだ。智慧の限りを尽くして、手を打つことだ。声を惜しまず、語り抜いていくことだ。
その尊き模範こそ、きようお集まりの、わが第2総東京の婦人部の皆様方である。
日本一、世界一の第2総東京婦人部の前進を、私は心から讃えたい(大拍手)。

■ 一、師匠のために戦い抜く。師匠を断じて守る。これが真実の弟子である。
私は、戸田先生を侮辱する人間、中傷する人間は絶対に許さなかった。
師匠が罵られ、辱められても黙っている ──それは最低の弟子だ。畜生のごとき、卑怯な人間である。絶対に信用などできない。
立ち上がるのだ。真実の弟子ならば!
叫び切るのだ。師の正義と偉大さを!
そこにこそ、真実の師弟の大道が輝くのである。

●真剣の一人を! 本物の一人を!
一、戸田先生は言われた。
「高杉晋作が民衆を陣頭とした軍勢を作り、一人立ち上がったから、100年の栄冠の歴史が開かれた」
「ただ一人、確信をもって立つところに、一切の仕事ができあがる」
「わが青年部は、高杉晋作であり、久坂玄瑞である。妙法蓮華経の力をもって立ち上がった青年たちに、偉大な革命ができないわけがない」
「法華経の兵法」を掲げて、青年部が一人立つならば、必ず新しい歴史を開くことができる。断じて行き詰まることはない
牧口先生のときは、戸田先生が一人、立ち上がった。
戸田先生のときは、私一人であった。
今、その一人が、どこから出てくるのか。私はじっと見ている。
「私が広宣流布の全責任を負います!」
「誰が何と言おうとも、私が一人、立ち上がります!」
こう天に向がって叫び抜き、祈り抜き、戦い抜いていく。その「真剣の一人」が必要なのである。「本物の弟子」を育てたいのである。

一、戸田先生は、青年の育成、指導者の薫陶には、徹して真剣勝負で臨まれた。
「ちっぽけな、そして卑しい、我慢偏執の心を打ち破れ!」
「多くの人々は、虚栄で、上手に人生を渡ろうとしている。皆、虚栄で、自分自身を、ごまかしている。真実の信仰には、虚栄はいらない」
このように先生は強く叫ばれたのである。
16世紀フランスの思想家モンテーニュの言葉を、私は思い起こす。
「高慢は人類の破滅であり、堕落である」「おお、高慢よ、何とおまえはわれわれの妨げとなることだろう」(原二郎訳『エセー』岩波文庫)と。
日蓮大聖人の御在世にあって、退転し反逆していった者の本質は、虚栄であり、増上慢であり、欲張りであり、臆病であった。
蓮祖は厳と仰せである。
「わが一門の中でも、信心を貫き通せない人々は、(初めから信じないよりも)かえって罪があるのである。(地獄に堕ちて、その時)日蓮をうらんではならない。少輔房、能登房ら(退転した門下の末路)を、よくごらんなさい」(御書1168ページ、通解)
わが弟子は、一人たりとも地獄に堕としたくない。なんとか信心を全うさせて、人生を見事に勝たせてあげたい。
それが、御本仏の大慈大悲であられた。
しかし、その師の心が、愚かな弟子には分からないのである。

● 戸田先生「恩知らずになるな」
一、戸田先生は、人材の要件として、「知恩・報恩」という一点を深く重んじておられた。
ここに、人間として踏むべき根本の正道があるからである。
あるとき、戸田先生がよく知る青年が、地方から上京してきた。
戸田先生は、その青年に「恩人には、お会いしてきたか?」と尋ねられた。
まだであることを聞かれると、厳しく叱られた。
「君の大恩人ではないか! 上京したら、お訪ねするのが本当だ。恩を知らない人間は、畜生だ」
慢心、虚栄、自分勝手、名聞名利といったエゴや破壊の生命は、時として、「恩知らず」の形となって表れる。
大聖人が喝破された退転・反逆の生命に共通するのが、「恩知らず」であった。
恩を知る人は、謙虚である。まじめである。真剣である。
恩を知る人は、成長がある。向上がある。勇気がある。
恩を知る人は、人を敬うことができる。人に尽くし、人を育てることができる。
「仏法を学ぶ人が、どうして恩を知り恩を報ずることがなくてよいだろうか。仏弟子は、必ず四恩を知って、知恵・報恩の誠を尽くすべきである」(同192ページ、通解)との御聖訓を、深く心に刻んでいかねばならない。
この「知恩・報恩」の道こそ、我ら「創価の師弟」の進む道である。

一、戸田先生は、指導者の要諦を、このように教えてくださった。
「いざという時、指導者は悪と戦う勇気がなくてはならない。そうでなければ、無責任である。最も大切な庶民を守れないからだ」
本当のことを厳しく言い、責め抜いて、悪い人間は戒めていくことが、真の慈悲である。
先生は、青年に未来を託して言われた。
「私が大きく幕を開いた舞台で、活躍するのは、ほかならぬ君たちなのだ。しっかり頼むよ。
ひとたび、広宣流布の戦を起こしたならば、断じて勝たねばならぬ。
戦いを起こしておいて、負けるのは、人間として最大の恥だ」
この戸田先生の師子吼を胸に、私は、あらゆる戦いを、断固として勝ち抜いてきた。
広宣流布のために断じて勝つことが、師匠への最大の報恩となるからだ。

■ 全国各地で、立正安国の気高き行動を、勇敢に貫いておられる、導き正義の中の正義の誉れの同志に、健康あれ! 幸福あれ! 勝利あれ! 栄光あれ! と、心からお祈り申し上げ、私のスピーチといたします。
長時間、本当にありがとう! またお会いしましょう!(大拍手)