投稿者:赤胴鈴之助 投稿日:2016年 6月29日(水)02時24分36秒
ぼんぷの・われわれにも、このひほうそうたいしゅの、じょうぶつのこころをりかいすることができるだろうか」どうぺーじと。

だいしょうにんは

「しけんによる〝こたえ〟はむえきでありいみがない。りゅうじゅもだいちどろんのなかで
『いま、ぼんのうをだんじつくしたさんじょうしょうもん・えんかく・ぼさつは、ほとけになれないときまっているのに、
かえってじょうぶつするというのは、ただほとけのみがよくしっていることである。

ろんぎとはただしくそのことをろんずべきであるが、はかりしることはできない。
だからむえきなろんぎをしてはならない。

もしほとけになることができたときは、よくりかいしなっとくすることができる。
それいがいのひとは、ただ〝しんずべき〟であって、いまだりかいしなっとくすることはできない』とのべているしゅい」どうぺーじ

とりゅうじゅのげんせつをしょうかいしてこたえます。

そして「ほけきょうほうべんぽんだいにの『ゆいぶつよぶつ・ないのうくじんただほとけとほとけとのみがよくきわめつくしている』とは、

ほけきょうにおいてぼんのう・ごう・くのさんどうがそのまま
ほっしん・はんにゃ・げだつのさんとくとなるとといて、じじょうしゃりほつはじょうぶつしたしゅい」どうぺーじとのべました。

つまり、りゅうじゅの〝しんじるしかない〟ということばは、だれにむけられていったのかというと、

べつきょう・えんきょうのぼさつや、ふげんぼさつ・もんじゅしりぼさつのだいぼさつにたいしてであり、
ましてやじじょう・まつだいのぼんぷがほけきょうのみょうほうのちからをしり、りかいできるはずもなく、

ぶっかいのきょうがいをゆげんするための〝いんねん〟をあかしたじゅうほうかいみょういんがしょうには

「ぶっかいとは、ぼさつのくらいにおいて〝しぐせいがん〟をはっすることをもってかいとなすつうげ」
ごしょ434ぺーじとあります。

しぐせいがんとは、

①いっさいしゅじょうをさとりのみちにはいらせ、いっさいしゅじょうをすくうことをちかう。
②いっさいのぼんのうをたとうとちかう。
③ほとけのおしえをすべてまなびとろうとちかう。
④ぶつどうしゅぎょうにおいてむじょうのさとりにいたろうとちかう、ことです。

これはにぜんきょうで〝しぐせいがん〟というぼさつかいをもったけっかとしてぶっかがしめされたもんですが、

ほけきょうではいちだいじいんねんをあかし「かいじごにゅう」をといて、しゅじょうの〝こころ〟にほんらい、ぶっかいがそなわっていることをしめし、
じぶんじしんのぶつしょうをさとることによって〝そくしんじょうぶつ〟することをめいかくにしているのです。

つまり、

めがみえないひとはみえないままほとけになり、
みみのきこえないひとはきこえないままほとけになり、
くちでしゃべれないひとはしゃべれないままほとけになるということです。

そして、どんなじゅうどのしょうがいをもつしんたいであったとしても、
あらゆるけいしきをちょうえつして「ほけきょうをしんずるつよきこころ」によってじょうぶつできるのです。

だいしょうにんは
「いちねんにおっこうのしんろうをつくせば、ほんらいむさのさんじんねんねんにおこるなり。いわゆる、なむみょうほうれんげきょうはしょうぎょうなり」
〇ぺーじとうったえています。