2016年7月30日 投稿者:無冠 投稿日:2016年 7月30日(土)08時35分25秒 通報 全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。 2007.4.25 【新時代第6回本部幹部会】 ■ 一、皆さん、おめでとう!(大拍手) 楽しくやりましょう。 きょうは、お祝いだから、長い話はやめて、懇談的にお話ししたいと思う。 記念に、和歌や句を詠んだ。各部の代表にお渡ししたい。 (壮年部に) 堂々と 広布と共に 勝ち進む 偉大な使命の 勝利の指揮執れ (婦人部に) 偉大なる 婦人部ありて 大勝利 (男子部に) 青年部 厳と戦い 大完勝 (女子部に) 美しき 瞳の女子部の スクラムが 広布の完勝 飾りけり (壮年部に) 栄光の 断固と完勝 白星を だれより戦ったのは、婦人部である。 道を開いたのは、そして、勝ったのは、婦人部の力である。 婦人部こそが、第1位である。婦人部の力は、すごい(大拍手)。 青年部も、厳然と戦った。それゆえの完勝である。 芸術部の皆さんも、ありがとう! 「芸術部が会合に来ると、うれしい」そういう人も多い(笑い)。ご活躍に、拍手を送りたい。本当によく頑張っておられる(大拍手)。 いよいよ、広宣流布の新たな戦いの出陣だ。 互いの健闘に喝采を贈りながら、勝利への回転を開始したい。 ●学会員の力で新時代が到来 一、全勝、完勝の5月3日 おめでとう。(大拍手) また、創価学会母の日 おめでとう。(大拍手) 新たな時代が、晴れ晴れと到来した。 すべて、尊き同志の偉大な奮闘のおかげである。幹部ではない、会員の皆様のおかげである。 皆、本当によく戦ってくださった。 一、日蓮大聖人は、弟子が苦難と戦いながら、勝ち進みゆく姿を大変に喜ばれた。 四条金吾に宛てられた、『世雄御書』の冒頭には、金吾からの便りを読んだ感想を、「長い夜が明け、遠い道のりを歩いて、帰り着いたようである」と認められている。(御書1165㌻通解) また、同じく金吾に対して、何よりも、「勝利の報告は爽快である」(御書1175㌻)等と綴っておられる。 創価の完全勝利を、大聖人がどれほど喜ばれ、賛嘆なさっていることか。 広布流布のために戦いきった満足と歓喜ほど、誇り高いものはない。その功徳は無量である。 インチキをした人間の心苦しい。因果の理法は厳しい。 学会のために戦う。広布のために戦う。その功徳によって、福徳によって、福徳と幸福の人生を歩む生命に変わっていく。 ●婦人部の勝利が広宣流布の勝利 一、エスキベル博士のおばあさんは、正しい人間の道を、まっすぐな心で、堂々と歩んでこられた。その健気な庶民の女性こそ真の英雄であると、博士は言い切ったのである。 そしてまた、博士は、小さな町や村のなかにこそ、手本とすべき偉大な建設の人生を生き抜いた無名の英雄がいることを強調しておられた。 時代をつくるのは、無名の庶民である。それを忘れるな―ー 都の叫びであった。 わが学会にあっても同じである。偉いのは幹部ではない。会員である。 なかんずく、私が言いたいのは、「学会の婦人部こそ一番偉い」ということである。(大拍手) なにかと忙しいにもかかわらず、婦人部の皆様方は、折伏にせよ、聖教新聞の拡大にせよ、地域の友好にせよ、すべてにおいて、先頭に立ち、戦い、勝ってくださっている。皆様方のご活躍は、全部、存じ上げている。 私は、戦う婦人部の皆様を徹して大事にしてきた。 毎朝、毎晩、妻とともに、皆様の無事安穏を深くまた深く祈ってきた。 たとえ悪口を言われようとも、断固として立ち上がり、また立ち上がり、正義と真実を訴えておられるのが、偉大なる婦人部の皆様である。あまりにも、いじらしい。 わが壮年部、また青年部の皆さんは、最敬礼して、婦人部の皆様を尊敬し、守り抜いていっていただきたい。 まさしく、尊き婦人部の皆様の勝利が、学会の勝利であり、広宣流布の勝利につながっている。 『創価の母』である婦人部こそ、人間の王者であり、だれよりも尊貴な真実の大英雄であると、私は強く申し上げておきたい。(大拍手) エスキベル博士も、「幸福の博士」である創価の女性の連帯に深い意義を見出し、どれほど讃嘆しても讃嘆しきれないとの心で見つめておられる。 世界一、偉大な婦人部の皆様方、世界一の大勝利の「創価学会母の日」おめでとう!(大拍手) ●世界が求める常楽我浄の大法 一、昨日(現地時間23日)、アメリカの「ボストン二十一世紀サンタ―」が主催して「生死」をテーマにした第一回のセミナーが同センターで開催された。 これは、仏法の永遠の生命観の上から、「生も歓喜、死も歓喜」と論じた、私の2度目のハーバード大学での講演を出発点として行われたものである。〈名誉会長のハーバード大学での2度目の講演は、1993年9月。テーマは「二十一世紀文明と大乗仏教」〉 各分野の第一級のの識者が集い合い、「生死」の問題をともに探求していくものである。 第一回は、中国思想研究の第一人者であるハーバード大学のドゥ・ウェイミング博士や世界的に著名な文化人類学者であるメアリー・キャサリン・ベイトソン博士を囲んで、まことに有意義な語らいが交わされたと、うかがっている。 今後も継続して行っていく予定である。 依然として止むことのない、戦争、紛争、テロ、殺人。 こうした悲惨な現実を前にして、生命とは一体、何であるのか、そして死とは何か、宇宙との関係は、どうなっているのか ―― これらの問い掛けに明快な解答を与える生命哲学が求められている。 「正しき生命観」に立ってこそ、真実平和構築は可能となる。 国家間の交渉や国際的な条約も大事だが、それだけでは平和を守れないことは、世界の歴史が示している通りである。 ともあれ、「生老病死」の苦悩を超え、「常楽我浄」の幸福境涯を開いていく仏法の哲理を、世界の最高峰の知性たちが、真剣に探究していこうと努力をしているのである。 この生命の大哲学を持った私たちは、時代の先端を切っている。 我らこそ人類の根本的な指導理念の先導者なのである。 その誇りを持って、勇敢に堂々と進んでいきましょう。(大拍手) ●不幸にならない 一、大聖人は「妙心尼御前御返事」で、こうも述べられておられる。 「(もしも)今、霊山にまいられたならば、太陽が昇って、十方の世界をみはらすようにうれしく、『早く死んでよかった』とお喜びになられるでしょう」(同1480㌻通解) 『早く死んで良かったと喜ぶであろう』―― 三世の生命を達観されたゆえの御言葉である。 妙法は全宇宙を貫く大法である。宝の法である。それを皆さまは持っておられる。だから何も恐れることはない。不幸になることなど、永遠にない。 また、大聖人は、法華経の譬喩品に記された「法華経の誹謗の人は命終えて阿鼻地獄(無間地獄)に入るであろう」との文を引きながら、無間地獄の様相についておべておられる。(御書932㌻) そこでは、地獄に落ちた罪人たちが、自らの体から火を噴いて苦しんでいる。こうした厳しい責め苦を避けようと、東へ西へ南へ北へと走るのだが、結局この苦しみから逃れることはできない。 しかし、この大火の苦悩も、無間地獄の大苦の一部にしか過ぎない。無間地獄の苦しみを仏が詳しく説いたならば、人びとは皆驚いて死んでしまう。 ゆえに、仏は詳しくは説かれなかったのだろうと思われる―ーと。 意味深長な表現である。 どんなにお金があり、社会的地位があったとしても、妙法を誹謗した人間の末路は悲惨である。学会に反逆し、仏子をいじめた人間は、最後は深い苦しみを受けることになる。 どんなに表面を取り繕っていても、死という現実を前にしては、無益である。 さらに、大聖人はこう仰せである。 「妙法を唱える人の臨終は、なんと喜ばしいことであろうか。一仏・二仏ではなく、また百仏・二百仏でなく、千仏までお来迎し、手を取ってくださるとは、歓喜の感涙おさえがたい」(御書1337㌻通解) 一仏や二仏でなく、千の仏が迎えに来ると仰せである。たとえるならば、幼い子どもを、親や家族が迎えに来るような姿であろうか。 広宣流布のために、異体同心で戦い抜いた皆様方が、大満足の最期を迎えられることは絶対に間違いない。 ■ 一、重ねて、勝利の幹部会おめでとう!(大拍手) 「我が同志、万歳!」と叫びたい。 芸術部もありがとう! 皆で心から応援していきたい。 皆さん、お元気で! 一生懸命、お題目を送ります。 全同志の皆様にも、どうか、くれぐれもよろしくお伝えください。 いい人生を、一緒に勝ち抜いていこう! 生き抜いていこう! ありがとう! ありがとう! (大拍手) Tweet