2016年7月28日 投稿者:無冠 投稿日:2016年 7月28日(木)04時28分17秒 通報 編集済 全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。 2007-1-2 【新春代表者協議会】 ■ 「輝ける希望の旭日とともに、「前進・勝利の年」が開幕した。 新年あけまして、おめでとう!(大拍手) 「希望は世界の柱だ」(北村孝一編『世界ことわざ辞典』東京堂出版) これは、南アフリカの格言である。 「この一年、いやまして広宣流布に戦おう!」 「日本中、そして世界中に仏法を弘めよう!」 「あの人を救うのだ!」 「この人と語りに語ろう!」──わが敬愛する同志の胸にも、広宣流布の”希望の太陽”が、勢いよく昇っていることであろう。 全人類の平和と幸福のために行動し抜く広宣流布こそ、世界最高の希望なのである。 いかなる試練も、どんな迫害も、わが胸中の希望まで押しっぶすことはできない。 希望は「世界の柱」である。「自由の翼」である。 希望を持った人は強い。希望を手放さない人を、だれ人も打ち負かすことなどできないのだ。 ●人知を超えた力 一、大仏法の力は、皆さんが思っておられる以上に、はるかに大きい。 これまで、それぞれに、御本尊の大功徳を受けてこられたと思う。 しかし、「仏の力」「法の力」は、まだまだ、そんなものではない。 戸田先生は、よく語られていた。 「皆さん方の功徳は、私の受けた功徳から比べれば、小さなものである」 あらゆる大難を勝ち越えた先生の大確信であられた。 妙法の力用には、私たちの人知を超えた大功徳力がある。「仏の力」「法の力」は」想像を絶する無量無限の力である。 この力を引き出す鍵は、いったい何か。 それこそが、「広宣流布の師弟の道」に徹しゆく「信力」「行力」なのである。 ●広布の同志に 仏の大生命が 一、さらに、戸田先生は強調されていた。 「御本尊様を拝すると、われわれの生命に、南無妙法蓮華経という力があらわれてきます。この己心の南無妙法蓮華経が躍動してくるところに、生命の調和がとれ、病気や経済や生活の問題も打開できる」 「清浄な、たくましき、人を救おうとする慈悲が、そして人生を悠々と生ききっていける力が湧いてくるのである」 「南無妙法蓮華経如来」とは、日蓮大聖人の御生命そのものであられる。 「日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経に・すぎたるはなし」(同1124ページ)である。 この御本尊を拝し、異体同心で広宣流布に戦う我らには、日蓮大聖人と同じ広大無辺の仏の生命が、満々と湛えられていくのである。 ●師弟の偉大さ 一、この無量の力を教えてくださったのが「師匠」である。 釈尊の時代、「如来秘密・神通之力」の説法を信受した弟子たちは、無量の妙法の力に包まれていった。 さらにまた、大聖人の仰せのままに戦った門下が、「成仏するより外の神通と秘密とは之れ無きなり」との深義を体得することができた。 弟子が師と呼吸を合わせれば、汲めども尽きぬ大仏法の力用を、わが生命に脈動させることができる。 これが、仏法の法理である。 現代にあって、この仏法の真実の正道を真き通してきたのが、牧口先生であり、戸田先生である。 創価の三代の師弟である。 牧口先生は、命に及ぶ投獄の大難にあっても、厳然と叫び、示された。 ──いかなる大敵にも負けず、戦い抜いて、人間として最高の理想に達していくことが、如来の力であり、仏の力である──と。 この殉教の父に続いて、創価学会は、第六天の魔王の所領たる婆婆世界で、あらゆる中傷をはね返し、広宣流布の大闘争を、2代、そして3代にわたって繰り広げてきた。 御聖訓の通りに、これだけの「悪口罵詈」「猶多怨嫉」の難を耐え忍び、これだけの「三障四魔」「三類の強敵」を打ち破った。 そして、これだけ多くの同志が妙法の大功徳力を全身に浴びながら、世界190カ国・地域に及ぶ「一閻浮提広宣流布」を成し遂げてきた。 「如来秘密・神通之力」を出ださずして、成就できようはずがない。 ■正義を破壊しようとする邪悪な勢力に対しては、猛然と戦うことである。 戸田先生は厳しく言われた。 「破折精神を忘れた者が幹部になれば会員が可哀想だ」 同志を邪悪から守るベき立場でありながら、その責任を果たさない人間は、仏法の眼から見れば、大きな罰を受けてしまう いわんや、悪と戦うどころか、善の団結を乱すようなリーダーがいれば、厳しく追及していくべきである。 戸田先生も「幹部間のやきもちは、大事(大きな災い)を起こす」と言われている。 ともあれ、悪と戦わない人間は、心が汚れている。 見栄っ張りであり、臆病であり、卑怯である。 牧口先生は、「弱さに基づく臆病は、罪であり、悪である」と断じられた。 “罪人”や”悪人”であってはならない。 自らを覚醒させ、強く、勇気を奮い起こすことである。 私は、戸田先生の弟子である。師匠を守るため、身を賭して戦った。 師匠が悪口を言われているのに、師匠から大恩を受けた人間が、我関せずとして戦わない。 それでは、恩知らずである。恩を知らないのは畜生以下である。 ●断じて友好を! 一、中国の親しい友人の一人に、中日友好協会の宋健会長がおられる。 会長はかつて私に、信義の心光る詩を贈ってくださった。 その一節に、次のような言葉がある。 「中日の友誼は天よりも重し。その他、万(よろず)のことは些細なりしこと」 これは、中国の「改革・開放」政策の道を開いた 鄧小平氏の信念を記したものである。 中国と日本は、いついかなる時も、どんなことがあろうと、大局観に立って友好を貫き通すことだ。それ以外のことは、ささいなことに過ぎない──これが、鄧小平氏の思いであった。 氏とは私も2度、北京の人民大会堂で語り合った。 中国と日本、そして世界の未来を展望し、率直に意見を交換したことは忘れ得ぬ歴史である。 一、中国の周恩来総理は述べておられた。 「世界の流れは人民の友好促進です」(森下修一編訳『周恩来選集』中国書店) 私も、この信念で世界を駆けめぐってきた。 平和のため、各国の指導者や識者と幾重にも語らいを重ねてきた。文化・教育交流によって、世界の民衆と民衆を結んできた。 周総理は、こうも語っておられた。 「われわれはイバラの道を切り開いて障害を克服し、中日両国人民の永久の友好のため努力して前進を続けるべきである」(同) 私は、日中国交正常化提言をはじめ、東西冷戦の時代から日中の友好のために、あらゆる力を尽くしてきた。そのために心ない非難や中傷も受けた。 しかし、前進を続けてきた。両国の友好なくしては、アジアの平和も、世界の繁栄も、ありえないからである。 この一点を、私は今、新しい世代に伝えておきたい。 ●気取りを排せ 一、いかなる組織であれ、中心者の明快なリーダーシップが重要だ。気取ったり、堅苦しければ、皆が何を考えているのかわからないような空気になってしまう。 そういう学会にしてはいけない。裏表をつくらず、真っすぐに、大誠実で進むのだ。そうでなければ、学会はここまで勝ち進むことはなかった。 真っすぐに戦わない人、気取った人に、尊き仏意仏勅の団体の価値を推し量ることなど、できない。創価学会の.存在が、どれだけ意義深いものか、わからない。 また、「平等大慧」の仏法である。日蓮大聖人は、当時の京に上った人や、大陸に留学した人が、権威をかさにきて傲り高ぶる心を、厳しく戒めておられる。 増上慢は悪である。さらに悪いのは、純真な会員の信心を利用し、さまざまな立場を悪用する者である。 特に最高幹部は責任を持って、学会利用の輩を、鋭く、厳しく打ち破っていかねばならない。 ■ 学会のおかげで偉くなりながら、学会を小バカにし、尊き学会員を見下すような人間は、絶対に許してはならない。 倣慢な人間、悪い人間は叩き出せ!──これが戸田先生の教えであった。 悪と戦う被折精神が学会精神なのである。 ■ 原田会長はじめ、各方面長、各婦人部長など、幹部の方々は、大切な会員の皆さまのために、素晴らしき指揮、指導を、心よりお願い申し上げます。 この1年、皆さま方がご健康で、そして、勝利・完勝の無量の功徳輝く人生たれと、お祈り申し上げ、私の新年のあいさつとさせていただきます。 今年も一緒に頑張ろう! きょうは本当にありがとう!(大拍手) Tweet