投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年 7月27日(水)12時45分8秒   通報
たとえ信心を一生懸命がんばっていたとしても、私たちは生身の人間なのですから、
当然、病気にだってなるし、身体の調子が悪くなる時だってあります。

信心しているのに何でこんな病気になったのだろうと疑問に思うこともあるし、
病気をしたら信心が無いみたいに思う人もいるかも知れません。

しかし、法華経には「少なく病み少なく脳む」とあります。

多少の病気や身体に痛みがあったとしても、そんなにイライラしないで

「ああ、この病気のおかげで私は地獄に堕ちずに済むわぁ。よかった♪」

「持病の頭痛やヘルニアは、きっと今世で悪いことをしたからだわ !
もう謗法は絶対しないように気をつけよう。よかった、原因がわかって♪」

「病気のおかげで自分を見つめることができてよかった、功徳だわぁ♪」

というぐらいのおおらかな気持ちで病気とうまく付き合っていったほうが価値的です。

病気の根本治療はやはり「謗法を犯さない」ことに尽きます。
そのために〝謗法とは何か〟〝悪とは何か〟を学ぶことは必要なことです。

しかし、それでもやっぱり凡夫ですから間違いを犯すことだってあります。

もしも病気になった場合は、悩んで落ち込むより、
そこに意義や価値を見出し、前を向いて人生を生きていくほうが得です。

また必ずそういう境涯になっていけるのが日蓮仏法の真骨頂なのです。

結局、苦しみの〝生老病死〟の人生を、喜びに満ち溢れた
〝常楽我浄〟の人生に転換していくのが信心する最大の目的なのです。