2016年7月26日 投稿者:JACK 投稿日:2016年 7月26日(火)23時02分42秒 通報 ――今後、こうした事件はまた起こると思いますか。 池田 油断はできませんね。 他の宗教団体をみますと、ほとんど戦時中に弾圧を受け、ちりぢりばらばらになり、相当の苦しみを経ています。 それを思うと、どちらかといえば、うちは戦後ですからね。 戦前もやられましたけれども……。 一つは、そういうような見方もしなければいけない。 これだけ大きくなると、どうしても隙間ができる。 また、あまり完璧にしようとすると反発がでる。 多くの人がついてこない。 歴史の常で、大きくなった場合には、外部から内部への影響、内部から外部への影響という関連性から、いろいろなトラブルが予想されます。 ――近い将来に予想されるわけですか。 池田 それはわかりません。 予見者ではないですから。 ただひとつの連鎖作用というものは、どこの団体でもシコリとなってあるものですから。 たとえば、こないだも、ある大会社の首脳の方々と話をしたんです。 そしたら、時代とともにいかに注意してもどうしてもひずみができてしまう。 そこでずいぶんチェック機関をつくって防ぐけれども、やっぱりいろんなことが出てくる、これは異口同音にいいましたね。 いろんなことが出ちゃう、それが大きくなればなるほど、その度合いがひどいものである。 どこで問題を回避するか、ただ黙って専門の人が監視してるんだったら、これはできるかもしれないけれども、自分たちにもさまざまな仕事がある。 その間隙というものが手落ちになって問題が起こり、事件になってしまうというんですよ。 このへんが心配のタネなんです。 しかし、きゅうくつばかりではいけないし、寛大さが必要です。 大河の流れをつくりあげていくことが大切なのです。 他の教団と違って、三百六十五日、何百万の人が動き、語り、前進させていくという団体ですからね。 ですから、そういうことにのみ神経質になっていたら、とても大胆な目標へ進んでいくことはできません。 ――最後の質問です。 山崎の事件も初公判が間近(四月十日)になって、一つの大きなフシ目を迎えるわけですが、ここまできての心境は? 池田 一つの結末は結末として、私どもは後世にも社会にも責任をもっています。 その結論を見定めなければならないと思っています。 しかし、それはそれとして、やはり宗教本来の仏法を基調にした文化、平和に協力専念することは、また重要です。 逡巡ばかりしていては前に進まない。 私もいままで以上に前進をしたいと思うし、メンバーにも前進をお願いしたいと思います。 (おわり) 以上で週刊朝日の文字起こしを終わります。 Tweet