投稿者:無冠 投稿日:2016年 7月15日(金)17時54分26秒   通報

全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2006-6-27【全国代表協議会】

●同志に尽くせ
 一、戸田先生は、ご自身のそばで戦うリーダーに厳しく語られた。
 「本陣の幹部の使命は、日本国、そして全世界への広宣流布の原動力となることである。広宣流布に走りゆく同志のために、労を借しまないことである。
 そしてまた、本陣の幹部は、全学会を支え、全学会員の模範となって、すべての法戦を、勝利、勝利と決定させゆく、力ある指導者の集まりでなければならない」
 戸田先生は、このようにも言われた。
 「本陣のリーダーは、会員に尽くす先兵(せんぺい)である。全責任をもって、広宣流布の人材と組織を護り、発展させゆく使命の人である。賢明で、力ある、模範の存在として選ばれた、広宣流布の闘士なのである」
 さらに先生は叫ばれた。
 「本陣のリーダーは、同志のため、学会のため、令法久住(りょうぼうくじゅう)のため、不惜身命(ふしゃくしんみょう)の実像を示してゆかねばならない。
 その黄金の魂を持った死身弘法の指導者でなければならない」
 すべては、リーダーである皆さん方で決まる。
 その意味で、戸田先生の遺言のご指導を、そのまま伝えさせていただいた(大拍手)。

●忘恩は破滅
 一、戸田先生は、師匠の牧口先生に、まっすぐに仕えていかれた。牧口先生に命を捧げ、牢獄にまでお供された。
 牧口先生と戸田先生の心は一体であった。そこに本当の師弟不二があった。
 師匠を大事にした人は、永遠に栄える。
 反対に、大恩ある師匠を裏切り、苦しめるような忘恩の輩は、必ず破滅していく。それが仏法の厳しき法則である。

●若き友のために
 一、私は戸田先生の弟子として、ただ一人、先生の全指導をわが身に刻んできた。
 先生は私に言われた。
 「一生涯、お前が第3代会長だ。私の精神を受け継いだ、ただ一人の私の弟子だ」
 師弟不二なれば、恐れるものなどは何もない。私は一人、超然として戦った。戦い抜いてきた。
 そして私は勝ったのである(大拍手)。
 今、私はさらに先の先のことを考え、後に続く若き皆さんのために道を開いている。手を打っている。
 青年のために ── これが本物の指導者である。こうした三代の指導者がいたからこそ、学会は世界的に発展したのである(大拍手)

●学会が大聖人の精神を継承
 一、御聖訓には、「師はまた、邪道を閉じて正道に赴(おもむ)かせる等の恩が深い」(御書435ページ、通解)と仰せである。
 偉大な師匠があればこそ、弟子は正義と幸福の正しき道を歩むことができる。
 ゆえに「師弟の道」こそ、人間として最も正しい道である。また「師匠への報恩の道」こそ、人間として最も深き道なのである。

●一人を大切に
 一、広宣流布の本陣を護るリーダーの皆さまは、常に清々(すがすが)しい言動で、同志に喜びと確信を贈る存在であっていただきたい。
 例えば座談会などの会合に出席した場合には、皆が決意に燃えて前進できるような、希望あふれる話をしてほしい。
 ムスッとして、偉そうにしている。話もつまらない。それではリーダーとして失格である。
 また、会合が終わった後には、皆さんを笑顔で見送って差し上げるなど、どこまでも一人ひとりを大切にする指導者であってもらいたい。

●権力を恐れた宗門の卑劣な行動
 一、それでは、両先生が広宣流布のため、命をかけて国家権力と戦っている間、宗門はどういう行動をとったのか。
 あろうことか宗門は、牧口・戸田先生が逮捕された7月、両先生らを「登山止め」「末寺参詣禁止」処分。さらに、牧口先生を「信徒除名」にした。
 同月、牧口先生の留守宅に宗門の坊主が訪れ、ご家族に、牧口先生に退転を勧めるよう要請し、断られている。
 すべて、宗門に累が及ぶのを恐れての、卑劣な行動であった。
 宗門は戦時中、神札容認など、さんざんに謗法をくり返したあげく、昭和20年6月17日に、大石寺で火災を起こした。神札が祭られていた書院をはじめ主要な建物を焼失し、時の法主・日恭(にっきょう)は、逃げ遅れて焼死している。
 この時、宗門には、広宣流布の「信心の血脈」は途絶えていた。
 ただ創価学会にのみ、厳然と流れていたのである。

●「悔いない戦いは作戦で決まる」
 一、ここで再び、戸田先生のご指導を紹介したい。
 「“私はつまらない人間ですが、広宣流布にお使いください” ── と、そういう人間になれ」
 よく先生が、青年に言われた言葉である。
 後継の青年たちが、一生涯、謙虚な気持ちを忘れないよう教えてくださった。「弟子の生き方」を示してくださった。
 求道の心を失い、慢心に陥れば、ただちに人間としての堕落が始まる。それを教えてくださる師匠の存在は、本当にありがたいものである。
 「悔いのない戦いとは、事前の作戦にかかっている。これから将来にわたっての広宣流布の法戦も、この原理を忘れてはならない」
 このように、先生は「作戦」の大切さを力説してやまなかった。
 よく考えよ、頭を使え、周到に準備せよ、と。勝負の大部分は、作戦の段階で決まってしまうからだ。
 面倒くさがって準備をおろそかにしたり、作戦を軽視することは、敗北の「因」をつくっていることになる。すべてリーダーの責任である。
 また戸田先生は、外交のできない人間は深く信頼できないと言われていた。とくに青年に対して、外部とのしのぎを削る打ち合いの中でこそ、人間の地金が磨かれることを教えられた。
 ゆえに私は、先生の教えのままに、先生のもとで、あらゆる外交戦の矢面に立って戦った。

●「仏弟子が仏法を破壊する」
 一、最後に、御聖訓を拝したい。
 「外道や悪人は、如来の正法を破ることはできない。必ず、仏弟子らが仏法を破るのである。師子身中の虫が師子を内から食うとはこのことである」(御書957ページ、通解)
 外の敵ではない。内部から仏法は破壊されるとの御金言である。
 仲間うちから、反逆の輩が現れる。これが方程式である。
 同志を裏切る卑劣な行いは、永久に許してはならない。
 仏法が、どれほど「恩」を重視しているか。
 御書には、「二乗は父母・師匠・国主・主君・一切衆生・仏などへの報恩が皆欠けている。ゆえに一念も二乗の心を起こすことは、十悪や五逆罪を犯すよりも過ぎたことである」(同435ページ、通解)と仰せである。
 二乗の心とは、利他を忘れて、自らの利に執着する心である。それでは恩に報いることができない。ゆえに、十悪や五逆罪を犯すよりも、成仏の道を閉ざすことになるのである。
 名声、学歴、権力、地位を持った人間は、忘恩の心に陥りやすい。
 忘恩の人間は、例外なく苦悩の底に沈んでいく。その末路は悲惨である。私はこれまで、大勢の人間を見てきたが、まさしく大聖人の御言葉の通りであった。
 だからこそ仏法では、不知恩、忘恩を厳しく戒めるのである。

■ 私は、後に続く皆さんのために、盤石なる広布の基盤を整えておく。
 それは、私の、後輩に対する贈り物である。そのために今、着々と手を打っているとお伝えし、私のスピーチを終わります。
 きょうは、長時間、本当にありがとう! (大拍手)