2016年7月7日 投稿者:信濃町の人びと 投稿日:2016年 7月 7日(木)18時00分5秒 通報 池田大作全集80巻 第五十五回本部幹部会、婦人部幹部会 (1992年6月2日)より(5/6) ■コロンビア大学学長「悪を支えるのは無関心。熱意で錨を変えよ!」 コロンビアのガビリア大統領の夫人とは、さる五月一日にお会いした。 大統領ご夫妻が在学されていた私立ロス・アンデス大学の当時のムニョス学長は、次の言葉を残している。 「わが大学の誇りは、大学が自由のフォーラム(広場)であることです」と。 また、後のオブレゴン学長は、学生に贈る言葉として、「何よりも必要なのは、『誠実』であること、『真剣』であること、『正義』であること、『明瞭』であること、『建設的』であること、『熱意』をもつことである」と語っている。 「そして、祖国コロンビアの苦しみを見て、『熱意』を『怒り』に転じることだ。なぜならば、祖国をむしばむ『悪』は、市民の『無関心』に支えられているからだ」と──。 「無関心」は「心の死」であり、「正義の死」をもたらしていく。 このコロンビアでも、よく知られているスペイン語のことわざに、「心正しければ、悪魔も逃げる」(どんな不運であっても、正しい心があれば乗り越えていける)と。 また会見でも話題になったが、「扉は一つ閉まると、百開く」(一つうまくいかないことがあっても、次には百の素晴らしいことが待っている。逆境の時にこそ大いなる力を発揮できるの意)とある。 心が正しく、晴れ晴れとしていれば、それ自体、幸福である。希望がわいてくる。楽観主義の強さが備わってくる。何があっても、へこたれない心、いつも朗らかな心──その人に「幸せ」は大きくを開く。 ■ナイジェリアのノーベル賞作家「聖職者は″商人″、信者の″富″が目当て」 信念をもつ人は強い。 先日(五月二十八日)、ナイジェリアのドゴン・ヤロ駐日大使とお会いしたが、初めての会見のさい(一九八八年)、大使が語ってくださった信念を忘れることができない。 「私の第一の信条は、人間の平等を実現することである。アフリカの民衆が、他の民族と同様、胸を張って堂々と生きてゆくためであれば、私はすべてをなげうってでも戦っていく」と。 大使は、この信念のままに、今日まで、誠心誠意、アフリカの未来のために「語り」「行動」しておられる。本当に立派な大使であられる。 ナイジェリアには、アフリカ初のノーベル文学賞作家、ウォレ・ショインカ博士がおられる。博士とは、「兵庫青年平和文化祭」(一九八七年)に来賓として出席していただいたさい、初めてお会いした。 博士は語っている。「私は一つの宗教──人間の自由を信奉している」と。 この信念から博士は、多くの作品の中で、人間の自由を抑圧する権力者の横暴、聖職者の偽善、知識階級の無責任を厳しく弾劾している。 ある戯曲(『ジェロ神父の試練』)には、庶民を犠牲にして私利私欲に走る宗教の偽善者が描かれている。主人公の神父は語る。「私は毎朝、客待ちをする商店主のような気持ちでいる」と。彼は、信者のことを、自分を肥やしてくれる「客」としか見ていない。また、彼は、信者たちに決して「満足」を与えない。彼によれば、「ひとたび満足したら、彼らは二度と訪れようとはしないからだ」。 聖職者の傲慢へのショインカ博士の痛烈な攻撃である。 彼らは、表面ではあいそよく振る舞いながら、心ではどうしぼり取るかを考え、そのために何か不安を与え、自分にすがらざるを得ないようにしむけていく。 「聖職者の悪」と戦うことは、民衆の当然の権利であり、世界の数限りない「自由の闘士」「幸福の戦士」が行ってきた戦いである。同志は世界中にいる。 (明日以降に続く) Tweet