投稿者:ジョーカー 投稿日:2015年 1月12日(月)12時20分3秒  

日興上人著の「原殿御返事」(御書未収録。御書講義録別巻に記載有り)には、
身延を立ち退く残念さ、無念さが記されている。
日蓮大聖人滅後わずか数年で「御弟子はことごとく師敵対された」と。

中でも、日向にたぶらかされた、波木井一族は、身延の地頭であり、日興上人の教化によって帰依している。その日興上人よりも、謗法を犯している日向に随ってしまい、謗法の者の供養を受けないという道理から、やむなく身延を離山することとなった。

日向の堕落ぶりも詳しく記されている。
「四月八日には仏の誕生日と称して諸岡入道の室内において一日一夜の説法をして布施を出させて抱き取ったばかりか、酒を出させて興じた。」

「酒に酔ったあまり大声をあげるなどし、諸岡入道の一族から嘲り笑われたことなど、実に情けないことこの上ない。師匠の日蓮大聖人の御恥として、これ以上のものはないではないか。」

師敵対の人間の共通するところは、自分の考えに固執し、
諌めても話を聞かない、聞く姿勢がない。
日興上人が何度も諌めても、改めることがなかった。

六老僧のうち五人が師敵対するなんて、日興上人も予想しなかったことに違いない。どれだけ無念で、くやしかったことであろうか。たった数年で、これだけ変貌してしまうものなのか。実に人間の心は移ろいやすくはかないものである。

そんな中でも日興上人は
「いずれの地であっても、大聖人の法門を正しく受け継いでこの世に流布していくことが一番大切なことである。」と達観されている。

学会においても、この先、師敵対の幹部がたくさんあらわれてくることでしょう。執行部自体が、五老僧と化すかもしれません(現時点でそうなっているかも)。そういった人間と戦うのは、師の精神を正しく受け継いだ一人ひとりの会員であり、なかんずく、師敵対の人間と戦う決意と自覚のある人であります。

日興上人
「日蓮大聖人の正義に違背する師匠たちを捨てないのが、還って科となるのがいうのがこの法門である」

「師敵対」誤字訂正 投稿者:ジョーカー 投稿日:2015年 1月12日(月)14時50分8秒

日興上人
「日蓮大聖人の正義に違背する師匠たちを捨てないのが、
還って科となるのがいうのがこの法門である」

「日蓮大聖人の正義に違背する師匠たちを捨てないのが、
還って科となるというのがこの法門である」

尚、上記は通解ではありますが、日興上人の言ということもあり、訂正させていただきました。