投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年 6月27日(月)15時31分26秒   通報
相対種の成仏――つまり即身成仏の法門は「唯仏与仏・乃能究尽
(ただ仏と仏とのみがよく究め尽くしている)」の秘密の法門であり、
凡夫の思議しがたき法門なのです。

大聖人は「そのような秘密の法門を聞いて、いかなる利益があるのか(通解)」(御書九八四頁)

との質問に対して

「始めて法華経を聞くということである。・・・・そして末代の凡夫が
この法門を聞くならば、ただ自分一人だけが成仏するばかりではなく、
父母もまた即身成仏するのです。これが第一の孝養である(趣意)」(同頁)

と答えました。

いうまでもなく〝聞く〟とは〝信じる〟ことと同義だと思います。

何物によっても壊されず、永久に崩れることのない絶対的な幸福
――これは人類の永遠の願いであり、万人共通の理想だと思います。

その願いと理想を全世界に流布するために、
師匠は今は何も語らず、弟子を厳しく鍛えているのだと考えます。

最後に、昭和三十一年の「大白蓮華」に掲載された師弟不二の座談会を記して終わります。

池田
「折伏をするということが、即自分自身を折伏しているんだということに通ずるでしょうか」

戸田
「それでは教えよう。最後の一問を教えます。自分自身が南無妙法蓮華経で生きているということです。
それ以外に折伏はないのです。覚えましたか。手練手管も方法もなにもありません。

ただただ、おれは南無妙法蓮華経以外になにもない! と決めることを末法の折伏というのです。

それ以外にないでしょう。

どういうふうにやったら南無妙法蓮華経が弘まるか、
どのようにやったら南無妙法蓮華経がよくなるか、
人によく教えられるか、そんな方法論は関係ありません。

我みずからが南無妙法蓮華経だ!南無妙法蓮華経以外になにもない! と決めきって、決めきるのです。

おれはそれ以外にない、悪ければ、殺しても死んでもなんでもしょうがないと、
自分は南無妙法蓮華経だと決めるのが、最後の折伏です」

池田
「はぁ、それは簡単です。・・・・・・(笑い)」

戸田
「そう、簡単なのです。どうにでもいおうと思えば無限にいえるけれども、しかし、真義はそれしかない」

(戸田城聖全集第二巻四六六頁)

おわり