投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年 6月27日(月)12時04分41秒   通報
話をもどします。

仏と仏だけが知る諸法実相(十如是)を簡単に説明すると、

初めの三如是(相・性・体)は、生命の実体そのものを示しており、
あとの七如是(力・作・因・縁・果・報・本末究竟等)は、
生命の実体(相・性・体)がどのような運動をするかを示したものといえます。

つまり「力・作」は生命の〝発動や広がり〟を示し
「因・縁・果・報」は生命の〝流れ〟を鋭くとらえていると解釈することも可能です。

そして「本末究竟等」はその生命の法則を総括している〝妙なる法〟ともいえます。

要するに、この十如是という実相なくして生命というものはなく、
生命の実体(相・性・体)が明確でなければ観念論です。

仏法は実相に即した生命論であり、日蓮仏法はその生命を解明して、
万人が成仏する方途をものの見事に解き明かした大生命哲学なのです。

では、仏と仏だけが知る諸法実相(十如是)を通して、冒頭に挙げた
南無妙法蓮華経を正確に発音できない重度障害者はどうやって成仏するのか、

今度はそれを考えていきたいと思います。

同じ人間として生まれても、人にはさまざまな身体的差別があります。

大聖人は「人間に生まれる〝因〟は分かったが、同じように五戒を持って人間に生まれながら、
どうして目の見えない人、耳の聞こえない人、口のきけない人、背の低い人、足の不自由な人、

背骨が後方に盛り上がり、弓状に歪曲したりする病気にかかる人、
貧乏な人、多病の人などの差別があるのか(趣意)」(御書四三〇頁)

という〝問い〟を設定し、それに〝答える〟形で経文論釈を通してその因果を明かしました。