2016年6月27日 投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年 6月27日(月)12時03分58秒 通報 では、仏と仏だけが知る「諸法実相」とは何でしょうか。 結論から言えば、諸法実相とは十如是のことです。 つまり「いわゆる諸法の如是相、如是性、如是体、如是力、如是作、如是因、如是縁、如是果、如是報、如是本、末究竟等なり」です。 この十如是の文は、ちょっとむずかしい言葉ですが「略開三顕一」といいます。 これは三乗(声聞・縁覚・菩薩)を破折して、一仏乗をあらわすという意味です。 もっとわかりやすく言えば、人生の目的は幸福になるためにあるのですが、 それは金持ちになる事である、社会的名声を得る事である、世界一周旅行に行く事である、 結婚して家庭を持つ事である、美人になる事である、健康になることである等々いろいろありますが、 それは小さな目的観に立った三乗を求める衆生の姿なのだと師匠は言います。 そうではなく、本当の人生の目的は、ご本尊様を信じ、南無妙法蓮華経を信じなさい。 そうすれば、絶対に崩れない幸福な自分になれる。これが人生の究極の目的です――略開三顕一とは、こういう意味です。 こんなこと言われても誰だってわかりませんし、理解できません。 しかし、師匠がそう説いた時、舎利弗だけが師匠の言葉を理解したのです。 いや、理解したというよりもその言葉を〝信じた〟というべきかも知れません。 戸田先生はこのことを通して、幸福には「相対的幸福境涯」と「絶対的幸福境涯」の二つがあると表現しました。 何があろうが、何が起ころうが、何物にも侵されず、わが身の心に幸せを感じ、 生きていること自体が幸せである――そう言い切れる自分になるためには、ご本尊様を信じ、 行じていくところに人生の目的があり、本当の幸福を勝ち取る源泉があるのです。 Tweet