投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年 4月 8日(金)13時12分24秒   通報
革命こそ蘇生さんの質問に対するグリグリの所感を述べさせていただきます。
何かの思索の参考になれば幸いです。

まず、この御書の正式名は「三世諸仏総勘文教相廃立」といいます。
三世諸仏の勘文とは、釈尊と三世の諸仏が悟った内容とそれを衆生に教えるために(勘)考え定めた文書という意味です。
また教相廃立とは、方便権教を廃して実教である法華経を立てることを指します。

結論から先に言うと、総勘文抄の最大のテーマは「一大事因縁」です。
つまり、仏がこの世に出現した目的(本意)は一大事因縁の法門を説くためであり、
一大事因縁(仏の悟った法)とはどういう内容なのかを綴った法義書とも言えます。

しかしこれを説明していくと、話しも長くなるし、
多少の教学の基礎がなければ混乱すると思うので、今回の質問に絞って所感を述べたいと思います。

はじめに総勘文抄の趣旨と大意をごくごく簡単に説明すると、
佐渡期において最蓮房が大聖人に質問し、その質問に対して最蓮房に与えられた「生死一大事血脈抄」を
教義的に掘り下げて解説したものであり、総勘文抄の真意を端的に解説したのが「生死一大事血脈抄」だと思います。

さて、革命こそ蘇生さんが質問された

「善に背くのを悪といい、悪に背くもを善という。ゆえに心の外に善はなく、悪もない。
この善と悪とを離れるのを無記というのである。善と悪と無記と、この外には心はなく、心の外には法はないのである。

このゆえに善悪も浄穢も凡夫と聖人も天地も大小も東西も南北も四維も上下も、
すべて言語の道は断え、心行も所滅するのである。

心で分別した思いを言い表すのが言語であるから心の外には分別も無分別もない。
言葉というのは心の思いを響かせて声にあらわしたものをいうのである。

凡夫は自身の心に迷ってそれを知らずに悟らないのである。
仏はその心の働きを悟りあらわして、神通と名づけたのである。
神通とは神が一切の法に通じて礙(さわ)りがないことをいうのである(通解)」(五六三頁)

の御文について考えていきたいと思います。