投稿者:谷川の住人 投稿日:2016年 4月 4日(月)21時08分5秒   通報
人脈は人格を出でず、私は、所帯を持つまで十数年間、一軒家を探して学生部時代も男子部時代も拠点を置き、寝床無しの寝袋生活をしていました。背広2着、ジャージ、ボロの下着数枚、大量な書物・文庫本が全財産でした(-_-)友人には夜空眺めて人工衛星観察している者や酒飲みたくて密造酒作る者、紅茶キノコや穀物酢飲励行者やら終末思想・ノストラダムス?を説く者など愉快な人間関係が沢山ありました。全て折伏相手であり、良き友人であり、今も交流は続いています。
信心している学生部のメンバーの中には、国立大のオーバードクター(博士課程最終)在学8年目で、血の出るような題目も唱え抜いて学位・就職・結婚を決めた努力家の班長(先輩)、逆にエリートコースに入って未入信の彼女にそそのかされて退転・脱会して行方不明になった方面第○部部長、障害者(小児麻痺)の彼女と同棲して親の猛反対(婦人部大幹部)を押し切って、結婚・卒業・地方公務員になったグループ長など、今、思い返すと、あの時代に真剣に折伏弘教して自身と闘った者は、大きく境涯を開き、壮年になっても健在であり組織の中核となって頑張っています。逆に青年部時代、時代の風潮に流されて弱い自分に負けた者は、今、体面は良く見せていても内情は仮面夫婦であったり、厳しい現証が歴然として現れています。

青年時代の葛藤と自らの自制、その結果による因果律は、信心しているとか、していないと言った議論では無く、『人として』という大前提と『人を信頼する』という鋭意の現れであり形成された人格だと思います。学会員だから信用する、学会員じゃないから信用しない、などという短絡的な次元ではありません。『人として』信用・信頼できる者か?金も無く、身分も無い者同士が唯一出来る鋭意は、この関係性のみとなります。この結果が『人脈』であり、自らの『人格』となりました。
年を取ってわかった事は、金や身分(学会では役職)では人は動かず、面従腹背で信用・信頼もしないという事です。そして、人としての繋がりではなく、利害と打算(その場かぎり)の状態で人間関係ができ、平気で裏切りを働き、寂しい最期を迎えて中夭・横死する。御書の通りの結果です。私はこれらの幹部のために大切な書物や資料を失いましたが、おかげで、心残りな事象がなくなり、何処へでも赴く境涯になれました。

何故か反板では私の居場所を探している様ですが、何度も投稿している通り、最高幹部さまは、既に承知であり、本名も居場所もご存知です。死人を出してまで(-_-)、またやるのか?それとも止揚して大きく変わるかは、此岸と彼岸の問題で私が如何の斯うの述べる事ではありません(-_-)反板もね。罠に嵌まりましたね。
仙台・岩沼市、福島、東京・中央区、札幌、広島・中区と転々とする人物の特定を財務で飯喰らいながら、屁こいて悪行を重ねてみて下さい。統監手続きもしていますので、まあ数年間はこのネタで飯が食えるのではないですか?反板機能を最高幹部さまか認めているうちが華です(-_-)というよりも、あのお方にとって役に立っているうちが華ですか?