投稿者:陽光メール 投稿日:2016年 6月 7日(火)10時51分48秒   通報
ここで話は180度変わります。昔からかなり長い間私は日本からの聖教新聞を取っていた。聖教新聞の外国版は、日本から船便でその国の本部に送られる。その後にその本部から各購読者に郵送される。外国では日本のテレビ・ラジオ番組は不要なので肝心な紙面のみを1週間分ぐらい纏めて一括配送される。写真等はすべて白黒だった。船便では約1か月はかかるので「新聞」とは言えないが、貴重な教学の資料なので1~2ヶ月遅れの先生の指導を貪るように読んだものである。日本人の草創期の人達の多くは購読していたと思う。皆、楽しみにしていたものである。今でもコンピューターやEメールの使えないメンバーはたくさんいるのだ。最近はメール等で先生の日々の指導もメンバーに送信される。その時、私はローカル幹部に「コンピュータのないメンバーにはどうして配信するの?」と聞いたことがある。答えはいつもの如く何もなくダンマリなのだ。コンピュータのないメンバーには読めないのだ。そこには差別が生まれる。

最近になって聖教新聞の外国版は廃止になった。その決定はどの部署が決めたかは分からないが、今までの購読者は楽しみにしていた日本からの聖教新聞が来なくなって、梯子を外された形になってしまった。そして、今後の聖教新聞はオンライン購読となった。もちろん若い世代はコンピュータを毎日のように使っているので問題はない。しかし、アメリカ広布の功労者である草創期の人達には楽しみにしていた日本からのニュースを断ち切られた形になったのである。経費節約のためか、採算が合わなくなったのか詳しくは分からない。しかし、打ち切られた。

創価学会も弱者はマイノリティーとなって捨てられるようだ。東北震災や熊本震災で被害を受けられた人達も結局は東京オリンピックの陰に隠れて見捨てられてしまう。人生には不公平な事が多い。かと思うと、東京都知事の舛添氏なんか海外出張費で6千万円を使っても法律には触れないし、毎日のようにテレビに出て居直っている。全く人を小馬鹿にした話ではある。先生の指導は「不幸の人が一番幸せになる信心である」と仰せである。このような決定を採算が合わないからと決めつけるのは如何なものであろうか。