広宣の道を開くカギ。 ②
投稿者:河内平野 投稿日:2014年 9月 9日(火)10時25分19秒 返信・引用

竜の口の法難にあって、なんとか大聖人を亡き者にし、正法流布の教団を破壊しようとした《敵》には、次のような特徴があった。

まず第一に、
「法門」では勝負せず、「社会的に」葬ろうとした。まともに法門のうえの勝負をしたら、とてもかなわないからである。

第二に、
そのために「社会悪」のイメージづくりが必要であった。

そのために、さまざまな策をこらした。
その一つとして、放火や殺人をみずから犯し、その罪を大聖人門下に押しつけることまでした。これが第三の手口である。

第四には、
いったん、そうしたイメージづくりが成功すれば、、あとは自分が手を下さなくとも、何か起こるたびに《自動的に》大聖人門下のしわざと思わせることができる、とたくらんだ。
次元は異なるが、西洋にあってはユダヤ人が、これと同様のやり方でいつも迫害されている。
何か不都合があると、決まって「ユダヤ人のせいだ!」とされた。責任をユダヤ人に押しつけることで、自分たちの不満や不安を解消しようとしたのである。そうした迫害の歴史はまた、ユダヤ人の中から、世界的な偉大な人物を生む土壌となっている。

そして第五には、
「事実」によってではなく、こうしてつくられた「イメージ」によって判断され、迫害が正当化されていく。
それが、この「種種御振舞御書」での仰せの「さもあるらん」との言葉に端的に表れていると拝される。

「きっと、そうにちがいない」
「さも、ありそうなことだ」
「そういうこともあるだろう」との思いこみ、決めつけ――こんな、あいまいな話はない。

それが事実かどうかは、実際によく調べればわかることである。
また冷静に考えれば、師匠であられる大聖人の命が最も危ない時に、火に油を注ぐような悪事を、門下がわざわざ働くはずがない。

そうした、実証も道理も無視して、正義の大聖人とその門下への迫害が行われた。
「さもあるらん」と思わせる「イメージ戦略」――こうして形成された《時の勢い》や《空気》によって、理不尽な迫害が、当然であるかのごとく推し進められていったのである。