投稿者:信濃町の人びと 投稿日:2016年 3月22日(火)08時20分49秒  

■悪を滅する強さを持て

今、創価学会という、偉大なる民衆の城が、壮大に築きあげられた。この善なる民衆の連帯を、絶対に、悪に乱されてはならない。
建設は死闘。破壊は一瞬である。悪が盛んになれば、善が滅びる。

不惜身命で悪と戦う勇者がいる限り、善は守られる。しかし、もしその精神が失われれば、崩壊はすぐに始まってしまう。このことを、よくよく心に留めていただきたい。

学会利用、信心利用の、醜い利己心の輩を許してはならない。また、皆がおかしいと思っても、それを口に出せないような特別な存在を、つくってはならない。学会は、峻厳な師弟の精神に貫かれた、平等な同志の世界である。

悪に対しては、勇敢に声をあげることだ。徹して強く責めることだ。臆病ではいけない。臆病は、ずるい。ずるいのは「悪」である。悪を見ながら、放っておいて戦わないと、自分が悪と同じになってしまう。積んできた福徳も消してしまう。

今年は、敢然と悪と戦う一年としたい。なかんずく、結成五十五周年を迎える男子部には「次の学会を背負う一騎当千の指導者たれ!」と叫びたい。

日蓮大聖人は、涅槃経の次の文を繰り返し引いておられる。

″もし仏法者が、法を破る者を見ながら、そのまま放置して、相手の非を厳しく責めず、追い払わず、はっきり罪を挙げて処断しないのであれば、まさに知るべきである。この仏法者は、仏法のなかの怨敵である″(御書二三六ページなど)

本当の「善人」とは「悪と戦っている人」のことである。仏法は、人間を不幸にする魔との「限りなき闘争」である。

悪を厳しく責めるのは、それが「正しい」ことだからである。そして、「正しい」ことは「強い」ことである。強くなければ、正義を貫くことはできない。「正義」は「勇気」なのである。

池田大作全集100巻
第二総東京最高協議 (2006年1月2日)