投稿者:信濃町の人びと 投稿日:2016年 3月21日(月)20時45分18秒
勇気という「魂」を失う時、人間はもはや人間ではなく、ロボットとなってしまう。ちなみにロボットとは、労働、苦役の意味のチェコ語に基づく。

「権力」にあやつられるロボット。「金力」の奴隷となったロボット。誤れる「宗教の権威」にひれ伏すロボット――人間は、だれのロボットになってもならない。

私は十九歳の時から、人間とは何か、人間は何をなすべきか、人間はいかに生きるべきか、その根本課題を追究するために、戸田先生の弟子となった。この妙法に生ききることにしたのである。

″人間が「人間」となる勇気をもて!″″人間をロボットと化す鎖を断ち切り、解き放て!″――これこそ、全人類の救済に立たれた、大聖人の魂の叫びであったと私は信ずる。諸君は人間主義の旗を生涯、掲げとおしていただきたい。(拍手)

さらに、人を機械(ロボット)のように取り扱う者、その者こそ冷たい機械(ロボット)である。

人を、自分の金儲けの道具としか見ない資本家がいる。″集票マシン″と思っている政治家がいる。″故障″(病気)する機械と見ている医者もいよう。苦しんでいる人を救うべき立場でありながら、献身するどころか、かえって人を利用しようとする学者、聖職者、マスマミ人、弁護士がいる。これも残酷なる一般社会の一断面である。

ともあれ、道具のごとく人間を見くだす人は、じつは、みずからが「権威」「権力」のロボットになっている。人を従わせる傲慢なロボット。また、人に従うのみの卑屈なロボット。どちらもロボットであることに変わりはない。この両方を、真の「人間」にする戦い――それが真の信仰であり、広宣流布なのである。(拍手)

池田大作全集75巻
第三回男子青年部幹部会・創価班、牙城会総会 (1990年12月9日)