異体同心と破和合僧について 4/5 投稿者:陽光 投稿日:2016年 6月 3日(金)21時50分32秒

こうして、御書を拝してみると、教学部レポートにある「過去との整合性などどうでもいい。自語相違と批判されてもかまわない。完全に独立した教団として出発するんだから、結論は決まっているんだ。教義なんて、それを後付けすればいいんだ」とか「多少の退転はやむを得ない。9割は付いてこれる」とか「多少の流血はやむを得ない」とかいう輩は、先生の「一人残らず幸福にする。絶対に退転させない」という人間主義の思想とは真逆で「正法を人に捨てさせるが謗法」とはっきりと大聖人は仰せです。従って、大聖人の御書と池田先生の指導を基に、怠惰・懈怠の幹部に「間違っているものは間違っている。おかしいものはおかしい」とはっきり勇気を持って物申すのは破和合僧の行為ではなく、呵責の行為であり、大聖人の御心に適った信心なのです。

それを思えば、和を乱す、とか、異体同心を乱すとか、破和合僧であるとかいう理由で真摯に信心に励んでいる会員を対話もなく権威・権力をもって問答無用で排除・処分する行為こそが、破和合僧・謗法の者と断ずる以外にないのです。権力者に臆して声も上げられない幹部・会員、および無関心・傍観者等には「与同罪恐るべし恐るべし」と御書にあります。邪悪に対して勇気をもって声を上げる事こそ「時」に適った信心です。

僧俗和合の時に、日蓮正宗から変な法主が現れ、先生や学会員をいろいろと苦しめてきました。その時に日興上人の「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からず事」を使って宗門を責めたことは記憶に新しいと思います。法主と雖も無謬ではない事を証明した過去があります。学会の会長や幹部は無謬であるかどうか。創価学会会則に「創価三代の会長が永遠の指導者である」と定められているならば、永遠の指導者の指導に違反する者は如何なる役職をもっていようが、すべからく異体異心の者であり、城者として城を破るが如く破和合僧の者と断ぜざるを得ません。魂の独立を果たし、本当の意味で学会を未来永劫に磐石なものにするために、戸田先生の遺言である「敵は内部だよ!」との言葉のとおり、池田先生は令法久住のために最終的な戦いとして内部の幹部の総括を開始されました。2007年頃の事です。

創価三代の会長の指導通りに異体同心の心で実践してゆくのが私達弟子の勤めです。仏法は師弟が全てです。師弟の道を外せばいくら組織を守っても仏法も個人も滅びる運命にあります。「日蓮を敬うとも、悪しく敬えば国亡ぶべし」と御書にもありますし、歴史が如実に証明しています。しかるに、会則変更や宗教の根本教義を拙速的に変更したり、池田先生のあらゆる指導を一般会員に分からないように切り文・改竄したり、池田大作全集は150巻までで打ち切り、内部総括の指導である先生の2006年~2010年までの指導を後世に残さない事等は、師敵対の行為であると断罪されても仕方ありません。