投稿者:ジョーカー 投稿日:2014年12月31日(水)16時56分54秒  

「なにがあっても先生と自分だから」
信心が確立し、環境に左右されなくなってくると、
このような言葉を言えるようになります。
学会の幹部になっていく人に多い思考であり、
個の信心としては大変立派であると思います。
どんな理不尽な打ち出しがあろうと、傲慢な幹部がいようと、
そんなのは関係ないと。全部自分の一念で決まるんだと。
これ、最高の正論である。

私は、個の信心としてはこれでいいと思っています。
ただし、リーダーになる人間ならば、もう一歩深いところに踏み込んでほしいと思うのです

なぜ多くの会員が不満があっても、それを黙り、
意見を表明せず黙々と活動に勤しむのか
それは、何か言うと幹部に「自分の一念次第よ」「それは魔よ」
「先生と自分よ」と指導されてしまうからではないかと考えています

指導を求めていないのに指導されてしまう
指導を求めているのなら別に構いませんが・・・

日本人というのは元々、自分を責める傾向にあります
組織や活動に不満があったとしても、そのように考えてしまう「自分が悪い」のだと
すべて自分持ちの自己責任
そうなると究極的なところ「善知識」という概念すら必要なくなってしまう

学会に合わせられない自分が悪いと責めている人は、
たくさんいるのではないでしょうか

そういう私も、一時期幹部より理不尽な成果を求められ、
結果を出すことができず、「役職やめろ」と何時間にもわたり、責められたことがあります

その時、私は「自分が悪い」と言い聞かせていました
さすがにその姿をみた親が、「これはいかん」ということでストップがかかりました
しかるべき幹部に相談したところ、「全部幹部が悪い」という結論となり、
後日、掌を返したように謝罪してきました。

そこからやっとまともな思考で学会活動ができるようになり、結果も出るようになりました

かゆいところに手が届いてこそリーダーであり、正論ふりかざしている人ほど、
結局組織で改善しなければならない問題から目をそらし、何もしないパターンが存在します。
人間は感情の動物であり、それ故、環境にも大きく左右されてしまいます
そこを考慮せずに、なんでもかんでもすべて信心でとらえて頑張れというリーダーがいたとしたら、それはもはやリーダーではない

それは時に組織悪を助長させ、傲慢な幹部がのさばる土壌をつくる結果となりかねない
そういう負の側面もあることも知らなければならない

池田先生の指導 広布と人生を語る1巻より
「組織悪の面は、皆で話しあい、是正し、進歩させていく方途をつねに考え、
努力すべきである。けっして、悪の面のみをみて組織否定を即断すべきではない」

根本は自身の一念ですが、それだけでよしとしないところに、
仏法者の慈悲と包容力があるのではないでしょうか