投稿者:虹と創価家族 投稿日:2016年 3月10日(木)11時44分19秒

■本部幹部会紹介されたSGI会長の指針

・世界広布新時代第16回本部幹部会2016年3月9日3面
・第25回本部幹部会、池田大作全集第94巻、P.272~292

上記内容を原本比較してみました。
前半部分の、「悪との戦い」の部分削除が多いですので、前半部分を投稿します。
池田大作全集94巻をお持ちの方は、全文ご確認ください。

聖教掲載部分で削除されている部分を【   】で表記してあります。

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【戸田先生は、本当に偉大な師匠であられた。私の青春は、毎日が訓練であり、毎日が闘争であった。そして毎日が勉強であった。
先生とは、いろいろなことを話した。フランスの思想家ルソーについても語り合った。
ルソーは、真実の正義の人間とは、悪に対して強い人間であると論じている。
悪と戦わない人間は、正義ではない。強い人間ではない。ずるい人間である。
戸田先生も「どんなに人柄が良くても、立派そうに見えても、悪に対して弱い人間、悪と戦わない人間は、結局、正義がない。本当の人格がない。ずる賢い人間だ」と、厳しく喝破しておられた。
幹部であっても、戦うべき時に戦わなければ、福運を消してしまう。仏法は厳しい。】

日蓮仏法の根幹である「御義口伝」には、「功徳」の意義として「悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり」(御書762ページ)と説かれている。私の好きな一節である。
生命の悪を滅し、善を生ずる―――これが「功徳」である。
悪と戦うことが、どれほど素晴らしいか。全部、自分自身をつくり、絶対の幸福境涯をつくることにつながる。
広布のために悪と戦えば、功徳がある。戦わなければ功徳はない。私の後に続くのだ―――こう大聖人は繰り返し、教えておられる。
創価学会は、大聖人の御聖訓どおりの「広宣流布の団体」であり、「折伏の団体」である。「最極の人間の結合」なのである。

時代は、ますます乱世である。【これは社会の指導者の責任である。だからこそ民衆が強くなることだ。正義の声をあげることだ。】

善悪の基準も乱れている。何が善で、何が悪か、わからない。【テレビに出れば有名、何か書けば有名。それをもてはやす世間の風潮に流されるだけでは、底が浅いし、危ない。真実の正しい思想がわからない。】

まさに、仏法で説く「闘諍言訟」―――「争いや論争が絶えない」悪世末法の世相である。
流罪された佐渡の地で、大聖人はこう喝破された。
「畜生の心は弱きをおどし強きをおそる当世の学者等は畜生の如し」(御書957ページ)
社会をリードすべき人間が、自分のことしか考えない。相手が強ければ媚びへつらい、弱いと見れば脅し、いじめる―――今の時代も同じである。【情けない行動基準の日本になってしまったと憂える人は多い。】

ゆえに、わが創価の青年よ、「師子王の心」を取り出して、断じて強くなれ!強くなれ!徹して賢明であれ!そして勝利せよ!―――こう私は叫びたい。
二十一世紀の命運を決しゆくのは、わが創価の青年群である。

【未来は青年に頼む以外ない。
青年部の諸君は、次なる創価学会の建設へ、全責任を担い立ってもらいたい。
いかなる迫害があっても、大聖人の大難から見れば、九牛の一毛(取るに足らない小事)にすぎない―――とは、牧口初代会長の有名な言葉である。】

牧口先生は軍部権力と戦った。投獄されてなお、「大聖人と比べれば、大したことではない」と達観されていた。これが私どもの師匠である。
大聖人は「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」(御書1282ページ)と仰せである。
臆病であっては、日蓮門下とは言えない。功徳も出ない。創価学会の栄えある青年部ではない。
烈々たる「攻撃精神」―――これが学会青年部の伝統である。

【私も青年部時代、不当な迫害とは断固、戦った。どんな相手であろうと、一人、堂々と正義の論陣を張った。そういう青年部であってもらいたい。
組織で威張って、悪とは戦えない―――そんな臆病な、情けない人間に絶対になってはならない。】

「攻撃精神」「破折精神」「折伏精神」こそ、日蓮仏法の真髄であり、創価学会の魂である。

【わが師・戸田先生は、厳然と遺言された。
「嫉妬に狂った中傷批判など、歯牙にもかけるな!しかし、最後は叩きのめせ!クセになるから」と。】

この精神を忘れないでいただきたい。青年部の諸君、よろしく頼む!
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今まで、池田先生の指導で削除される共通部分があります。
・幹部に対する厳しい指導
・民衆が賢明になり、下から上に声を上げる指導

学会員として善悪の基準を持たなければ、都合よく組織に利用されかねません。

人間主義か否か。
先生の敵か否か。
先生と分断するのか否か。

教学と池田先生の指導を根本に、魔を見破ってゆきたいものです。

さて、今回の原本の終わり部分で削除された言葉です。
四人組をはじめ、人間主義を忘れ、正義の会員を迫害した幹部への厳しきご指導です。

【仏法の世界にあっても、善の民衆を踏みにじる「低劣な連中」が悲惨な末路をたどることは絶対に間違いないのである。】