投稿日:2016年 3月 9日(水)21時53分24秒

虹と創価家族様

「学会員としての善悪の基準」

善とは、人の道(道理)です。人の振る舞いを説いたのが仏法であり、人の道とは、誰もが疑うことや、根拠を必要としない生き方です。故に、人の道に反する生き方を悪と云い、そのような生き方には、違和感や嫌悪感を感じるものです。組織においては、人の道は、「人間主義」として顕れ、それに反するのが、官僚主義・組織主義・権威主義です。創価学会は人間主義であり続ければ善であり、官僚主義・組織主義に堕すれば悪である。そして、人間主義を根底に指導されているのが三代会長ですので、先生の指導を大事にし、守っていくことが善です。

人間主義が仏の振る舞いで、官僚主義・組織主義は魔王の振る舞いです。創価学会は日々、仏と魔との闘争にさらされており、魔王との領地合戦をしているのです。雑な打ち出し一つとっても悪です。少なくともそう定めなければ、会員が苦しむことになる。人間主義を標榜しながら、現実にやっていることは、会員を手段化する官僚主義・組織主義に陥っていたとしたら、それは悪です。

悪は身近に潜んでいます。だれか特定の反逆者のみが悪ではない。目的を見失った成果主義も、会員の手段化ですので悪です。悪とは、想像以上に多く、とくに学会は広宣流布を推進している団体ですので、一層悪も強くなる。この認識がなければ、知らない間に悪に加担してしまう結果となる。

教学部レポートと遠藤文書も、言わんとしていることは、「人間主義ではないではないか」ということであり、それに対する警鐘です。創価学会の使命は、人間主義の社会を構築するところにありますが、肝心の中枢が官僚主義、組織主義に陥っていたらお話にならない。傲慢な振る舞いが何百、何千と積み重なった時に、大きな事件が起きる。行き着くところまでいかなければ、気付けないのが人間の性ではありますが、それを待つのもまた愚かというものです。だから一早く宿坊の掲示板では、議論をしているわけです。仏法者は、一つの事象から様々なことを読み取っていかなければならないし、それが出来るのが日蓮仏法の力です。信心の功徳によって、「眼」が養われていく。

池田先生は戸田先生に、「正しい人生とは何ですか?」と質問された。それは言い換えれば、「善とは何か」ということでもあります。それに対し戸田先生は、「命がけで信心すればわかるようになる」と言われました。善とは悪に対し、「おかしい」と思う感覚であり、それは仏界を根底とした時に明瞭となる。

54年という大きな事件も、魔王の勢力が勝っていた結果、起きた事件でしょう。決して単発的に起きたのではなく、官僚主義・組織主義が蔓延り、放置されてきたことが要因ではないか。人間主義といいながら、いざとなれば人間を蔑にし、手段化する。それが根底だったから、池田先生を見殺しにすることができた。この54年体質は、魔王の土壌が生み出したもの。魔王の土壌から人間主義の土壌へと転換していくことが学会員にとっての正義であり、善です。そのために、三代会長と同じ心(人間主義)で戦うことが師弟不二であり、究極なのです。