投稿者:信濃町の人びと 投稿日:2016年 2月24日(水)10時42分51秒 編集済

■古今の仏教界は師匠を軽んじて滅亡

日本の仏教が、なぜ堕落し、狂ってしまったのか。日蓮大聖人は、「それは師匠を軽く見たからだ」と明快におっしゃっている。

日本の仏教の中心地であった比叡山。その創始者である伝教大師について、弟子たちは、こう思った。今、真言宗がもてはやされている。われわれも流行に乗りたい――。

「我が師・伝教大師はいまだ此の事をばくはしく習せ給わざりけり漢土に久しくもわたらせ給わざりける故に此の法門は
あらうち(荒唐)にをはしけるやとをぼして」

――わが師である伝教大師は、真言宗のことは、くわしくは勉強しておられなかったのである。中国にも長くは留学しておられないゆえに、真言の法門は、おおまかにしか知っておられなかった――と思ったのである。

要するに、「自分たちのほうが、よくわかっているのだ」「自分たちのほうが勉強しているんだ」「師匠は、わかっていないんだ」――そういう心である。増上慢である。

そして師匠である伝教大師を捨て、真言の流行に染まってしまった。

しかし、じつは、伝教大師は、すべて知ったうえで、「真言はいけない」と言われていたのである。

ここが大事である。こういう歴史については、「撰時抄」に説かれている。

師匠の偉大さを、弟子がわからなかったゆえに、比叡山は″真言の山″になっていった。大聖人は「本の伝教大師の大怨敵となる」と仰せである。すなわち、「伝教大師の大怨敵」となってしまったのである。

邪悪と戦うべきときに、弟子が戦わなかった。師匠を悪者にして、自分がいい子になり、戦いを避け、難を避けた。ずる賢い弟子たちであった。

また中国の天台宗でも、同じことが起こっていた。師匠の天台大師が亡くなった後、新しい経典がインドから来た。当然、天台大師は、この経典を知らないし、破折もしていない。そこで、弟子たちは愚かにも、「この経典のほうが法華経よりも勝れている」という邪義を信じてしまった。

(「而るを天台は御覧なかりしかば天台の末学等は智慧の薄きかのゆへに・さもやとおもう」等)

愚かで臆病であり、師匠の偉大さを知らず、宣揚もできなかった。ゆえに正法の清流が濁っていったのである。これは、「報恩抄」に説かれている。

師匠の権威を利用して、人々から尊敬を受ける立場になりながら、内心では師匠をあなどり、邪悪と戦わなかった。戦わなかったどころか、邪悪に染まってしまった。

悪と戦わなければ、悪に染まってしまう。権力の魔性と戦わなければ、自分が魔性に魅入られてしまう。

御書には、こうした大切な方程式が、はっきりと示されている。また、こうした仏教界の堕落の構図は、決して単なる″昔話″ではない。ゆえに、よくよく御書を拝していただきたい。

創価学会も、牧口先生、戸田先生の精神がなくなったら、大変なことになる。広宣流布は、できなくなってしまう。それでは師匠に申しわけない。日蓮大聖人に申しわけない。

だから私は、生きて生きて生き抜いて、厳然と指揮をとり、師弟の″魂″を教えているのである。

池田大作全集88巻
婦人部代表協議会(「紅梅会」「常磐会」総会) (1998年1月25日)