投稿者:ジョーカー 投稿日:2016年 1月29日(金)05時46分45秒   通報
永遠の希望様

>創価学会は常に仏意仏勅の団体であるといわれています
その根拠は何だと思われていますか?<

創価学会が仏意仏勅である所以は、牧口先生の「殉教」にあります。正しい本尊を持つことを前提とした上で、決め手となるのは「信心の血脈」です。いくら形が整っていようと、肝心な信心がなければ、仏意仏勅足り得ることはありません。

信心の血脈を継ぐ、現代の法華経の行者とは一体誰なのか。それは間違いなく、牧口・戸田・池田の創価三代の会長です。法華経の行者とは、三類の強敵と戦い抜いた人のことを指し、それは創価三代にあてはまります。日興上人は、「我より智勝れたる者をば仰いで師匠とす可き事」(P1618)と言われているように、最も優れた人(法華経の行者)を師匠とすべきことは当然の道理です。そして創価学会は、現代の法華経の行者を永遠の師匠と定め、就中、池田先生の指導を中心にしているからこそ、仏意仏勅と名乗れるわけです。

御書に「其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ」(P1467)とあるように、世界広宣流布は、法華経の行者である、創価三代に託されていると考えるのが自然です。だからこそ創価学会は、創価三代の指導を大切にしているわけです。

では、今の創価学会は仏意仏勅足り得ているかどうか。ここが問題となります。昨今行われた、拙速な教義変更や、安保法制等の本質は一体何なのか。私は、「ナルシシズム」にあると思っています。即ち、「仏意仏勅であるが故に、我々の判断は間違いなく正しい」というのが根底に垣間見られる。ナルシシズムの特徴は、「排他性」にあります。自分たちが正しいと思い込んでいるが故に、反対意見に耳を傾けることができなくなる。

ナルシシズムの反対は、「客観性」です。仏法ではこれを文証・理証・現証として、重要視しています。今の創価学会には、客観性を垣間見ることができない。ナルシシズムに陥っていることこそが、現創価学会に感じる違和感の正体です。創価三代の指導を根本としてこそ、ナルシシズムからの脱却の道があり、ここにいる皆さんがやろうとしていることだと思います。

客観性を重視できなければ、創価学会は独りよがりの団体となってしまう。宗門も、ナルシシズムによって変質し、大謗法団体となってしまいました。ナルシシズムは道理に反することを平然とやりのける。一千万信徒を切ることは、狂気の沙汰に他ならない。ナルシシズムという狂気には、正論は通じない。狂気であるからこそ、不当な処分や除名等がなされるわけです。

54年もまた、ナルシシズムによってなされた狂気の歴史です。法華経の行者である池田先生を会長から引きずりおろすことは、客観的に考えると狂っていることがわかります。それが広宣流布のためになるわけがないからだ。個人も団体もナルシシズムの克服こそが最重要事なのです。まずは、創価学会中枢がナルシシズムに陥っていることを意識することが大事でしょう。そして、一人一人の学会員が、客観性を持つことが、ナルシシズム克服のカギとなります。