投稿者:信濃町のネット対策チームの対策 投稿日:2016年 1月28日(木)21時07分16秒   通報 編集済
信濃町のネット対策チームの対策です。

秋谷元会長が池田先生から本部幹部会で叱責されたことは見皆様もご承知の通りです。

どなたかも書かれていましたが、秋谷は池田先生を「先生」と呼べなかったことが指摘されました。

本当にそうなのでしょうか?

紛いなりにも創価学会の会長であった秋谷元会長です。
現在で言えば、職員が盛んに団結の中心と宣伝する「会長職」の秋谷です。
あり得ないと思えませんか?

皆様も身近な幹部や創価学会職員に聞いて下さい。

資料を提示します。

永遠に輝く3.16 「広宣流布記念の日」
聖教新聞社発行 昭和51年

と言う冊子があります。

出席者
副会長  秋谷栄之助
副会長  青木 亨
男子部長 野崎勲
学生部長 原田稔
女子部長 田辺幾代
司会 聖教新聞編集局長 松岡資

9ページより
秋谷
戸田先生は昭和20年に出獄されて以来、敗戦の混乱と虚脱状態の社会を救うためただ一人荒野に立って、大聖人の仏法の偉大さ、正統性を叫ばれたのです。中略 総登山の間は理境坊を指揮本部にして、指揮をとられたわけですが、実際のすべての手はずを整えていたのは「池田会長」でした。あらゆる面で師弟の道に徹し、最後の瞬間まで偉大限の手を打ち、誠意と真心の限りを尽くされていた「池田会長」の姿勢が鮮明に思い起こされます。

秋谷は「池田会長」と呼んでいます。
この冊子を読むと「池田会長」と「池田先生」と呼び方が統一されず、また発言者の話しの中でも「会長」と「先生」の両方の言い方をしている箇所もあります。

以前私がこの掲示板に書き込みさせていただきましたが、「池田先生」と「呼べない」ことは、弟子としては致命的です。

池田先生が本部幹部会で秋谷に対して、私のことを「先生」と呼べなかったとの叱責は真のことです。

皆様はこの秋谷元会長が原田会長率いる執行部にいることが正しいと思いますか?
また主任副会長の谷川副会長が何も対応しないことは、間違いだと思いませんか?