2016年1月27日 投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年 1月27日(水)09時21分56秒 通報 今回の新会則で、創価学会が「一大秘法」を捨て「人法一箇の本尊」を捨てたということは “御本尊中心主義”から“題目中心主義”への移行であり、まさに身延化に向かう恐るべき暴挙に他ならないと思う。 その証拠が新経本の「観念文」に見事に記載されています。 新観念文には「法華経の肝心である南無妙法蓮華経の御本尊に南無し」と記されました。 そもそも宗教団体と名の付く以上、最も重要なのは「宗旨」です。 しかしこれでは創価学会の「宗旨」がまったく不明でわからない。 およそ日蓮を冠した教団は皆「南無妙法蓮華経は法華経の肝心」だと主張しています。一致派しかり、身延派しかり――。 これでは「本門寿量品の肝心」とする六老僧(日朗)の流れを汲む法華宗(本門流)にも笑われてしまいます。 今回の創価学会会則の教義条項改正は、身延派・一致派と何がどう違うのでしょうか。 究めつけは、 「『観心の本尊』とは、『信心の本尊』でもある。この信心を私たちに教えてくださったのが 創価の三代会長、なかんずく池田名誉会長である【同】」 と述べているところです。 何度もいいますが、観心の本尊とは「大聖人の御境涯」を本門の本尊として建立したものです。 御本尊は仏身であり大聖人そのものである、 そう信じて御本尊を拝する信仰者の信心姿勢があっての観心の本尊であり、本門の本尊です。 このことを教えてくださったのが創価の三代会長、なかんずく池田先生なのです。 Tweet