2016年1月27日 投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年 1月27日(水)09時21分16秒 通報 南無妙法蓮華経は単なる「法理」ではなく「仏身」なのです。 久遠元初の自受用身であり、発迹顕本の日蓮大聖人です。 大聖人は竜口で発迹顕本し、法と人が一体になったからこそ、 その対境である報身を大漫荼羅として図顕し、人法一箇の本尊としたのです。 これが「本門の本尊」となるわけです。 こう信じてその御本尊に向かって唱える題目を「本門の題目」といい、 その御本尊を受持する所を「本門の戒壇」というのです。 こうして本門の本尊によって、本門の題目も本門の戒壇も成立するから本門の本尊をもって「一大秘法」というのです。 南無妙法蓮華経と日蓮大聖人を切り離して事の一念三千の「御本尊」とはならず、一大秘法があってはじめて三大秘法が開かれるのです。 さらに【会則の教義条項改正に関する解説(二〇一五年一月三十日付聖教新聞)】の “三大秘法について”のなかで 「『宇宙と生命に内在する法』、すなわち南無妙法蓮華経が根本であり、三大秘法はそれを具現化された法門である。 これまで日寛上人の教学に基づいて『一大秘法』や『六大秘法』ということを使用してきたが『一大秘法』が『本門の本尊』である という日寛上人の解釈は、御書にはない。 ・・・日寛上人が用いられている、三大秘法を合した『一大秘法』、 また、三大秘法を開いた『六大秘法』という表現は、御書そのものには説かれていない。 ・・・日寛教学の一大秘法、六大秘法という用語は、今後用いない」 としている。 Tweet