投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年 1月24日(日)09時23分24秒   通報
日寛が登場したのは、大聖人滅後、四百三十七年が経った江戸時代です。

この時代は徳川幕府によって、キリスト教信仰を禁止し、
民衆を支配するために寺請制度(檀家制度)が実施されていた時代です。

人々は必ずどこかの寺院に所属しなければならず、寺に人別(戸籍)が登録されていました。
そして寺院が発行する証文がなければ就職も旅行もできず、民衆は寺に隷属せざるを得なくなり、

住職の権限は絶大となっていたのです。

たとえ檀家総代であっても寺へ行くべき日に参詣しないと、
戸籍を抹消して自宗の檀家ではないと幕府に届けよ、とさえ定められていたといいます。

要するに、檀家制度は「寺院が権力の出先機関」になったということです。
寺院そのものが権力化し、僧侶は民衆の支配者となった――。

まさに民衆のために権力者と戦い抜いた大聖人の精神と対極にあったのが、この「檀家制度」といえます。

さらに幕府は「自賛毀他」といって、自宗をほめて他宗をけなすことを禁じ、
法論を禁止したため、どの宗派も布教ができなくなりました。

僧侶は寺に所属する檀徒が死亡すると、その死相を見届け檀那に間違いない(キリスト教でない)ことを
確認してから戒名を授け引導を渡すことが義務付けられていました。

そのため葬儀に僧侶を呼ばなければならなかったのです。
僧侶を呼ばなければ、キリシタンの疑いをかけられ、極刑に処される恐れすらあったのです。

葬儀や法要など、化儀のほとんどは江戸時代に確立されており、
檀家の墓・過去帳・位牌・仏壇などもそれ以降に一般化しています。

しかしその一方では、徳川幕府の宗教政策によって自由な布教が制限されたかわりに、
日蓮宗各派で教学研究が盛んとなっていきます。