投稿者:ジョーカー 投稿日:2016年 1月10日(日)18時25分36秒   通報

永遠の希望様
>2009.4.14
先生は30年間、秘めておられた共戦の揮毫を初披露してくださいます
4.14
会長就任を決められたのも、勇退を決められたのも、4.14でした
その日を選ばれたのは何故か?
また30年間時を待たれたのは何故か?<

重要で且つ、良質な質問ありがとうございます。あくまでも一考察ではありますが、答えさせていただきます。

池田先生が会長勇退されてからどのような祈りをされていたか。それは、「本物の弟子、真の後継の弟子が生まれてくるように」ということであったと聞いたことがあります。54年以降に生まれてきた人は、池田先生の祈りに包まれている「新世代」であり、後生おそるべしの人材です。このことを軽く考えてはならないと思います。そして、その祈りを開始されてから30年後に、「共戦」の揮毫が発表されたことにも甚深の意味があります。それはちょうど、青年部の中核に差しかかる年齢であるということです。いわば、学会のすべてを担っていくのが30前後なのです。それは、池田先生が会長就任した32歳にせまる年齢です。そういう意味も込めて、30年という時を待たれたものと思われます。

54年の決着をつけることのできるのは、池田先生の祈りに包まれた本物の後継の弟子です。4.14を選ばれたのも、本物の弟子への隠れたメッセージです。即ち、「54年の決着をつけよ」「54年体質を一変させよ」との、師からの相承でしょう。本物ならば感づくことのできるシステムとなっている。54年時は先生一人で戦いを開始されたが、30年後は「共戦」、つまり、弟子が師と同じ戦いをせよということです。この時点で、すべてのバトンは託されたのです。

そして、黄金の3年と言われる現在、先生の祈りによって、本物の後継の弟子が澎湃と躍り出る時が到来しました。もはや、54年組のじいさんたちはお呼びではないのですが、理事長人事が象徴しているように、まだまだ54年が渦巻いている。新世代の邪魔な存在であり、足を引っ張ってくるでしょう。それでも新しい時代のうねりは止められない。池田先生にはその確信があるからこそ、何があろうと悠々とされているのではないでしょうか。

たとえ、道半ばで池田先生が倒れたとしても、本物の後継者であれば、言葉がなくても自分の意志を正しく継いでくれると信じていたと思います。それでこそ本物でしょう。すべて一から十まで説明されなければ理解できないようでは、本物とはいえない。また、何だかの理由で、文献として残らなくても、現にこのようにしっかり伝わっていることこそが、一つの証明です。いかなる策謀や邪魔が入ろうとも、「共戦」の流れを押しとどめることなど、誰にもできはしない。

時代のうねりと共に、新世代の人材が覚醒し、54年の仇を討ち、師弟不二を継承していく。それが池田先生の思い描いている絵ではないかと思うのです。だから何も心配はいりません。54年組のじいさんたちが、いくら足掻こうとも、どうすることもできないのです。54年組のじいさんたちは、今のうちに、新世代の人材に最敬礼をしておくことです。ここに、「青年学会」の真の意味もあるのです。