投稿者:ジョーカー 投稿日:2015年12月31日(木)19時14分27秒   通報

こちらこそ、多くの重要な問いかけ、ありがとうございました。中には楽しみにされていた方がいたようなので、本当によかったと思います。これからも忌憚のない質問よろしくお願いします。どんな問いにも、正面から答えていく所存です。

>不自惜身命
凡夫の不自惜身命は
時間、お金、体力、気力、心配りを惜しまないことだと思います<

広宣流布のために「惜しまない自分」に境涯革命できた人が、幸せなのだと思います。凡夫は惜しむ命満々です。そして、つまらないことのために命を使い、死んでいく。御書にも、「無量劫より・このかた・をやこのため所領のために命すてたる事は大地微塵よりも・をほし、法華経のゆへには・いまだ一度もすてず」(P910)とありますように、法華経のためには命を捨てることはない。その中で、どれだけ惜しまずに広宣流布のために我が身を使っていけるか、一生涯挑戦ですね。

「挑戦していこう」との、誓願の一念こそが地涌の菩薩です。ある一定年数頑張ると、「こんなに頑張ったのだから」という一念になりがちです。とくに男子部でまじめに活動に取り組み、壮年にいく年齢に差しかかっている人に多く見られます。しかし、大聖人が本格的な闘争をされたのは立正安国論提出の39歳からです。しかも鎌倉時代の平均寿命は20代(疫病や災害等で早死)といわれており、現代の80代とは大きな差がある中での闘争だったのです。あらゆることに恵まれている現代においては、生涯現役はスタンダードなのです。泣いても笑っても、たったの100年で死んでいく命です。短い一生の中で、どれだけのことを為しとけることができるか。挑戦挑戦の日々でありたいですね。