投稿者:ジョーカー 投稿日:2014年12月16日(火)15時07分38秒  

会長の言
「創価学会は、大聖人の御遺命の世界広宣流布を推進する仏意仏勅の教団であるとの自覚に立ち、その責任において広宣流布のための御本尊を認定します。」

この言葉がどうもひっかかります

御本尊を認定できるということは、当然大御本尊の認定も可能ということではないでしょうか
大誓堂の御本尊を、大御本尊として定めることは、広宣流布にとって必要と判断すれば変更できてしまう

会長の発言は、創価学会(会長並びに執行部)はもはや、法主並びに歴代法主と同等もしくはそれ以上の存在になったことを意味するのかもしれません

過去や教義の整合性など関係なく、世界広宣流布を推進している「自覚」と「責任」において、文証すらも自ら作り出せるのかも

それが世界広宣流布のためならば、構わないのだと
なぜなら、創価学会は仏意仏勅の団体だから

すべてを決定していく資格がありますよと

自覚と責任のある創価学会が決めたことはすべて正しい
教義なんていうのは適当に後付けでごまかし、それらしく見せればいい
どうせ多くの会員はわからないのだから

もしも執行部がこのような思考に陥っていたら最悪なシナリオかなと思います

まあ、そんなことはないでしょうけど・・

万が一そうなったとしたら「ジャイアニズム創価学会」とでも名付けるとします