投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年12月 6日(日)16時01分36秒   通報

こういう人が自身の境涯を革命し、人間的に成長して誰からも好かれ、
魅力のある人間になっていくには、どうすればいいのでしょうか。

大聖人は

「あなたがただ仏になろうと思うならば、
慢心のはたほこを倒し、瞋りの杖を捨てて、ひとえに一仏乗の法華経に帰依すべきである。

名聞名利は今生だけの飾りであり、我慢や偏執は後生の足かせである。
まことに恥ずべきであり、恐るべきことである(通解)」(四六三頁)

と述べています。

法華経はもっともむずかしい二乗の成仏(二乗作仏)が説かれることによって、
十界のすべての衆生の成仏が可能になり、最高究極の法であることが証明されました。

しかし、たとえ最高究極の法を受持していたとしても、成仏を目指すならば自らの

「慢心・怒り・名聞名利・我慢偏執」を捨てて、素直に《法華経の智慧の如く、御書の仰せのまま》に信心を貫いていくべきです。

名聞名利は今生だけの飾りであり、我慢や偏執は信心向上の妨げになるだけです。

池田先生も
「仏法の目的は、結局、境涯を変えるところにある」(法華経の智慧一巻三七頁)と述べています。

法華経序品第一には

「諸の菩薩のために大乗経の無量義・菩薩を教える法・仏に護念せらるるものと名づけるを説きたもう。
仏この経を説きおわって結跏扶坐(けっかふざ)し、無量義処三昧に入りて、身心動じたまわざりき」

とあり、

法華経方便品第二で

「釈尊がその三昧(瞑想)から安詳として立ち上がり説法を始めた」と記されています。

池田先生は現在八十七歳。
明年(二〇一六年)一月二日の誕生日で八十八歳の米寿を迎えます。

まさに今、先生も「無量義処三昧に入りて、身心動じたまわざりき」です。

しかし今度はその弟子たちが、無量義処三昧より決然と立ち上がり、
師の心をわが心とし、先生に代わって全民衆のために「法を説く」ことを、先生はじっと待っているのかもしれない。

― 完 ―