2014年12月10日 投稿者:ジョーカー 投稿日:2014年12月10日(水)01時09分10秒 正義の反対語 主にこの二つが挙げられる ・不義(人として守るべき道にはずれること。また、その行い) ・別の正義 尚、悪の反対語は善である 昭和54年の問題は、法華経を行じている師を、弟子がないがしろにし、 組織を守ることを優先させてしまったことではなかろうか 弟子からしたらそれは別の正義であったのだろう だけどそれは本当の正義だったのか 今後も必ずこのような選択肢を迫られることがあろう その時に、何を一番大事にすべきなのか ここを見誤ると、54年と同じ歴史を繰り返すことになる 先生が「正義」と認められ、反転攻勢をされたのも、そこに正義がなかったからであろう 組織の論理に染まりぬいた人間は、組織を守ることを優先する 私は問いたい 今の創価学会と、某政党に「そこに正義はあるのかね?」と ズレた正義は犠牲が伴うもの それは時に、取り返しのつかない事態をもたらす 準備不足の会則改正、総理の自己満足の集団的自衛権の閣議決定への同調等 私はこれを、ズレた正義と見ている Tweet