投稿者:ジョーカー 投稿日:2015年11月30日(月)08時21分25秒   通報

・永遠の希望様

個人的な問題も、組織的な問題も、すべては一念三千の範疇です。戸田先生は、「私の罪だ」と、他人事ではなく、自分事として捉えられました。その懺悔から反転され、75万世帯の折伏を宣言される。この根底には一体何があるのか。結局大事なのは信心であり、「すべての問題を信心で解決してみせる」と腹を決めることができるかどうかにかかっており、それが法華経の行者の一念です。

凡夫というのは、どうしても頭で考えてしまう。ああでもないこうでもないと考え、舎利弗の如しです。それを勤行で喝破し、仏の智慧は甚深無量で、舎利弗、お前にはわからないんだと断罪します。その舎利弗とは自分自身に他ならないのですが、現実には、妙法の力を無意識のうちに計ってしまうのが、凡夫の浅はかさではないでしょうか。信心ですべて解決すると決めた時に、御本尊と境智冥合し、最高の智慧と、諸天善神が機能する。戸田先生は御本尊と境智冥合した境地から、75万世帯という数字が浮かんだのだと思います。

当時の学会は約3000世帯であり、75万世帯を目指すのは無謀な数字。普通に考えたら、250倍の拡大目標など立てるわけがない。事実、75000世帯と勘違いした人も続出しました。頭で考えてどうこうのレベルではないことがわかります。しかも、達成できなければ、品川の沖に遺骸を投げ捨てろとまで言われたのは、戸田先生の覚悟の表れです。我々におきましても、すべての問題を信心で解決してみせるという一念に立脚し、御本尊と境地冥合すれば、どれほどの力が発揮できるか。

一切法が仏法であるが故に、今、起きている創価学会の諸々の問題も自分事です。様々な矛盾や理不尽がまかり通り、苦しみ、悩むことでしょうが、それらもすべて信心で解決できます。「信心で解決する」との一念で題目を唱えることがはじまりであり、それが本末究竟等します。要は自身が、御本尊と境地冥合できるかどうかにかかっています。そこに人間革命も、宿命転換も、発迹顕本もあります。浅きを去り深きに就く、信心の深化こそが肝要であり、心のどこかで誰かの責任にしている内は、まだ深刻ではない。

戸田先生は出獄後、創価学会再建のために尽力されました。それでも、「私の罪である」と自身を断罪される姿勢は、言語に絶するものがあります。戦後の混乱期、人々は生きるだけで精一杯の中、戸田先生は広宣流布のために戦われた。傍から見たら、それだけで立派であり、真似できるものではありませんが、さらに75万世帯という途方もない目標を立てられる。この御本尊に境地冥合された一念に連なることができるか否か、それは誰の責任でもなく、自分自身の責任です。

御本尊と境地冥合すれば、組織悪を圧倒的に凌駕できる境涯を開くことができる。そこにしか真の解決はないと考えています。組織悪すらも大きく反転させ、広宣流布推進の原動力としていくこと。それが戸田先生が身をもって教えてくれていることだと思うのです。絶体絶命の時こそが、御本尊と境地冥合する時であり、大逆転の狼煙をあげる時です。混沌の中にこそ光があり、もやもやしている今こそ、すべて信心で解決すると決めること。無限の妙法の力を湧現させる好機到来といったところでしょう。

学会内も一念三千の範疇ですので、善も悪も入り乱れます。これからも幹部の腐敗堕落や、増長した人間が溢れ出てきます。そういったことに、悩み苦しんでしまう自分なのか、それとも自分事として捉え、信心で解決すると覚悟していくのか。後者の人間を、どれだけ増やせるかにかかっている。ここに、宿坊の掲示板の意義があるのではないでしょうか。