投稿者:まなこ 投稿日:2015年11月17日(火)12時05分53秒   通報
■ 師匠の「信心」を受け継ぐ

名誉会長: 創価学会も、それがなくなったら大変です。
仏法でいう師弟の「不二」とは、何か。もちろん肉体は別々です。「心」「精神」、その人のもつ「法」が不二であるということです。ゆえに「法」を正しく行じている師匠を求めること、その師との「不二」を目指して向上していくことが大切なのです。
「法」や「精神」と関係なく、親分・子分みたいに「自分につけ」とか、形式的に、私はだれだれの弟子なんだとか、それは仏法の正しい在り方ではない。広宣流布へと限りなく向かっていく師匠の「信心」を継承することです。師弟がなければ、「向上」はなく、堕落してしまう。

斉藤: 言うまでもなく、私たちの信仰の対象は、日蓮大聖人であり、大聖人が根源の師匠です。それを大前提にして、日興上人も、仏道修行していくうえで師弟が必要なことを訴えておられます。
「このほうもんは、しでしをただして、ほとけになり候、しでしだにも、ちがい候へば、おなじほくぇを、たもち、まいらせて、候へども・むけんぢごくにおち候なり」
〈この(大聖人の)法門は、師弟の道を正して、仏になるのである。師弟の道を誤ってしまえば、同じく法華経を持ちまいらせていても、無間地獄に堕ちてしまうのである〉

須田: そして、仏法の師弟が形式論でない証拠に、日興上人は遺言として「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」(御書 p1618)と明確に、釘をさしておられます。大事なのは、正しき「法」を実践しているかどうかです。
■ 「いよいよ」の信心で!

名誉会長: 師匠の「信心」を、まっすぐに継承していってこそ「弟子」です。
増上慢になるのではなく、「いよいよ」の信心が大事なのです。大聖人のお手紙にも、「いよいよ」とか「相構えて相構えて」とか、何度も何度も使われている。

斉藤: 池上兄弟に対しても、そうです。信心に反対する父・康光によって兄が勘当されるという試練に直面した時、二人は大聖人の仰せ通りに戦い、見事に乗り切りました。
大聖人は、それを賛嘆されるとともに、「此れより後も・いかなる事ありとも・すこしもたゆむ事なかれ、いよいよ・はりあげてせむべし」(御書 p1090)と厳しく指導されておられます。

名誉会長: そうです。一瞬たりとも油断できない。悪に対しては、なおさらのことだ。「いよいよ」の思いで責めていかなければならない。

遠藤: やはり難の渦中にあった四条金吾に対しても、同じです。「いよいよ強盛の信力をいたし給へ」(御書 p1143)、「いよいよ道心堅固にして今度・仏になり給へ」(御書 p1184)、「これに・つけても・いよいよ強盛に大信力をいだし給へ」(御書 p1192)と仰せです。

須田: 乙御前の母・日妙聖人は、佐渡におられる大聖人を母子二人で訪ねた女性です。その信心強盛な日妙聖人に、大聖人は「各各は日蓮が檀那なり争か仏にならせ給はざるべき」(御書 p1212)と励まされたうえで、「いよいよ強盛の御志あるべし」(同)と言っておられます。

名誉会長: 長年、信心してきた門下に対しても、「いよいよ」の信心に立ちなさいと教えておられるのです。
南条時光の母(上野殿後家尼)に対しては、「これをきかせ給いて後は・いよいよ信心をいたさせ給へ、法華経の法門をきくにつけて・なをなを信心をはげむを・まことの道心者とは申すなり」(御書 p1505)と言われている。
〈この法門を聞かれた後は、いよいよ信心に励まれるがよい。法華経の法門を聞くにつけて、ますます信心に励むのを、まことの道心者というのです〉
「なをなを信心をはげむ」 —- これが「本因妙」の信心です。この「信心」のあるところに「仏界」があらわれる。だから、大功徳がある。

斉藤: 大聖入御自身が、この「いよいよ」の模範を示してくださっています。身延に入られてからの御生活も決して「隠棲」などという消極的なものではありませんでした。何十人もの門下に対して法華経、摩訶止観等の講義をされるかたわら、膨大な数の論文・御消息を執筆して法門を残され、門下一人一人を、きめ細かく激励されています。

遠藤: 身延におられた八年四ヵ月の間に書かれた御書は、約三百編にのぼるといわれます。単純に平均しても、十日に一編の御述作です。そのなかには「撰時抄」や「報恩抄」などの長編の御書もあります。また、この間に、現存しているだけでも百二十幅近い御本尊を御図顕されていることを考えれば、すさまじいばかりの大闘争の日々であられたことがわかります。