投稿者:まなこ 投稿日:2015年11月15日(日)12時26分2秒   通報
法華経は師弟不二の経典
■ 戦い続ける信心を永遠に継承

斉藤: 草創の方の思い出です。
山口県の下関に、戸田先生が行かれた。寺院の改築落慶法要でした。法要が終わって、祝宴に移り、余興の歌が、次々と歌われた。
ある人が「日本男子の歌」を歌い始めると、戸田先生はその歌ではなくて「白虎隊」の歌を歌いなさいと言われた。そこで一生懸命に歌うと、戸田先生は立ったままで、じっと聴いておられた。厚い眼鏡の奥に、いっぱい涙を浮かべておられた。歌い終わると、こう言われたそうです。「今、こうして皆、楽しんでいるが、私のかわいい大(池田先生)が、大阪で死にもの狂いの戦いをやっている —- 白虎隊の歌を聴いたので寝るよ」。
声を詰まらせて、こう言われて、席を下がられた —- 皆、冷水を浴びた思いだったそうです。

遠藤: 昭和三十 —- 。

名誉会長: 32年(1957年)の4月でしょう。〈4月20日〉 ありがたい師匠です。

遠藤: 池田先生が、大阪の参院補欠選挙に行かれた時ですね。先生が入獄(七月三日)される、きっかけになった戦いでした。

斉藤: 腐敗した既成権力との対決でした。
この十日後(四月三十日)、戸田先生は突然、倒れられます。一年後に、ご逝去です —- 。ご自分の体も不調の中、後を託す池田先生のことを、どれほど思っておられたか、厳粛な気持ちになります。

名誉会長: 大慈悲の師匠でした。
「もしも、もしも、お前が死ぬようなことになったら、私もすぐに駆けつけて、お前の上にうつぶして一緒に死ぬからな」と言ってくださった —- 。
私も、殉教の決意で、一切をお守りしました。

斉藤: 今回で「法華経の智慧」は最終回になりますが、結論として、私が痛感するのは、法華経とは「師弟不二の経典」であるということです。
その心棒が、全編を貫いています。
たとえば、方便品(第二章)で諸法実相を説いて、一切衆生に平等に仏性があることが明かされます。これによって、それまで成仏できないとされていた二乗が、次々と成仏していきます。迹門では、仏(師)と衆生(弟子)が「不二」であることを、あの手この手で語っていきます。

名誉会長: そうだね。そして悪人も女人も成仏できると説いていく。〈提婆達多品(第十二章)〉

須田: 「万人が仏になれるんだ!」と —- 。

名誉会長: 「万人が仏である」と悟った人を「仏」というのです。
「仏」の悟りとは、ほかのものではない。だから、いばったり、人を見下す仏など、いるわけがない。それだけでもう、「にせもの」とわかる。