投稿者:まなこ 投稿日:2015年11月13日(金)06時53分19秒   通報
■ 法華経の「要点」を説く

名誉会長: ところで、冒頭、「会合に遅れた人」の話をしたが、それを思い出したのは、ほかでもない。普賢菩薩自身が会合に遅れてきたんだね(笑い)。

斉藤: そうなります(笑い)。霊鷲山の説法が全部、終わろうかというころに駆けつけてきたわけですから。

須田: 「普賢菩薩勧発品(第二十八章)」は、いよいよ法華経の最後の章ですが、冒頭、いきなり「普賢菩薩が、東方の別世界から霊鷲山に駆けつけてくる」シーンから始まります。

遠藤: 東方の「宝威徳上王仏の国」にいたところ、娑婆世界で釈尊が法華経を説いておられるのを知って、「無量無辺百千万億の諸の菩薩衆」とともに、やってきたわけです。
斉藤: 日蓮大聖人は、そこのところを、実に面白く描写されています。
「(普賢菩薩は)遅れてやってこられたものだから、『これは仏様のご機嫌が悪いのではないか』と思ったからでしようか、真剣な面もちになって『末法に必ず法華経の行者を守護いたします』と真心から誓われたのです。すると釈尊も、『法華経を閻浮提(世界)に流布することを、特に真剣にやります』と誓う姿を、よしと思われたのでしょう。かえって先の上位の菩薩よりも、特に手厚く普賢菩藤をほめられたのです」(「日女御前御返事」、御書 p1249、通解)
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普賢菩薩勧発品から
普賢、若し如来の滅後、後の五百歳に若し人有って、法華経を受持し、読誦せん者を見ては、応に是の念を作すべし。
此の人は久しからずして、当に道場に詣いて、諸の魔衆を破し、阿耨多羅三藐三菩提を得、法輪を転じ、法の鼓を撃ち、法の螺を吹き、法の雨を雨すべし。当に天人大衆の中の、師子の法座の上に坐すべし。(法華経 p670)

普賢菩薩よ、もし如来(釈尊)が入滅した後、後の五百年に、法華経を受持し、読誦する人がいれば、その人を見て、まさに次のように考えるべきである。
「この人はほどなく、覚りを得る道場に至って、諸の魔軍をうち破り、『仏の覚り』である阿耨多羅三藐三菩提を得て、法輪を転じ、法の鼓を撃ち、法の螺を吹き、法の雨を降らせるに違いない。天人の集いの中の、師子の法座の上に坐すに違いない」と。
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名誉会長: じつに、よくわかる説明です。 もちろん経文には、こういう「心理描写」が書いてあるわけではない。法華経の心をくんで、わかりやすく婦人門下に教えてくださったのです。
ありがたい御本仏です。いつも心をくだいてくださっている。

須田: 普賢菩薩は、釈尊に嘆願します。「どうか教えてください。どうすれば、仏様の亡くなった後、この法華経を体得できるでしようか」と。

斉藤: 大事な質問ですね。
もちろん、薬王品以後、妙音品、観音品、陀羅尼品、妙荘厳王品と、一貫して「滅後の法華経実践」について説かれてきたわけです。そのうえで、普賢菩薩のこの質問によって、釈尊が法華経実践の「ポイント」を述べるわけです。

名誉会長: だから普賢品のことを「再演法華(再び法華を演べる)」という。
いわば全体の「復習」です。
“ここがポイントだよ! これだけ覚えておけば大丈夫だよ!”という法華経の要点が、まとめられているのです。