投稿者:まなこ 投稿日:2015年10月24日(土)13時49分31秒   通報
法華経の智慧第六巻
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§薬王菩薩本事品§
命を燃やさん報恩のために!!
■ 真の「健康」とは、「戦う菩薩」の生命

名誉会長: 信仰の目的は何か。境涯を変えることです。
花を見る。ぱっと詩ができる人もいる。「山路来て 何やらゆかし すみれ草」。芭蕉なら、そう詠める。詩を詠まないまでも、心を花で埋めて楽しめる境涯の人がいる。
一輪の花 —- 寂しそうだ。だれかを思い出す。そうだ、あの人はどうしているか。元気だろうか。連絡してみよう。そういう菩薩の境涯の人もいる。花を見ても、月を見ても、何にも感じない人もいる。心が石みたいになっている(笑い)。
ベートーヴエンが交響曲「田園」をつくった。もう、かなり耳は聴えなくなっている。しかし心の中には「田園」の鳥の声がさえずっている。小川のせせらぎが聴こえて田舎の人々の楽しい集いの声が聴こえている。激しい嵐の音も、嵐のあとの、さわやかな自然のたたずまいも、全部、ベート-ヴエンの「己心の中」にある。己心中の大自然を、彼は人類に伝えたのです。
耳が聴こえなくても、仏法を知らなくても、それだけの境涯があった。いわんや、妙法を行じる人が、己心の宇宙を大きく広げられないわけがない。「妙」には「開く」という意義がある。広々とした己心の宝の世界を開くための信心です。何があっても楽しんでいける境涯をつくるのです。
釈尊の言葉に、こうあった。「悩める人々のあいだにあって、悩み無く、大いに楽しく生きよう。悩める人々のあいだにあって、悩み無く暮そう」(『ブッダの真理のことば 感興のことば』中村元訳、岩波書店)
“悩み無く”というのは、煩悩をも即、菩提に、すなわち楽しみに変えていこう、充実に変えていこう、「悩みを乗り堪える幸福感」に変えていこうということでしょう。
「貪っている人々のあいだにあって、患い無く、大いに楽しく生きよう。貪っている人々のあいだにあって、貪らないで暮そう」
貪るから、苦しみが生まれる。「心の財」を楽しんで積んでいこうということです。
また「健康は最高の利得であり、満足は最上の宝であり、信頼は最高の知己であり、ニルヴアーナは最上の楽しみである」とある。

遠藤: 「ニルヴアーナ」は「涅槃」ですね。

名誉会長: 生死即涅槃の捏槃です。「不死の境地」と釈尊が常に言っているのが、これです。「仏界」ということです。

斉藤: たしかに釈尊が悟りを開いた後、梵天の要請に応えて、初めて発した言葉は「不死の門は開かれた!」であったとされています。

須田: 釈尊が初めて人に対して法を説いた時も、五人の修行者に対して、「耳を傾けよ、不死は得られた!」と呼びかけたと伝えられています。

名誉会長: 「死苦」を乗り越える「法」を得たのです。それが妙法です。日蓮大聖人は「妙とは不死の薬なり」(御書 p831)と仰せだ。

斉藤: 今回の薬王品(薬王菩薩本事品、法華経第二十三章)には、有名な言葉があります。
「此の経は則ち為(こ)れ閻浮提の人の病の良薬なり。若し人病有らんに、是の経を聞くことを得ば、病即ち消滅して不老不死ならん」(法華経 p606)
法華経の功徳を「不老不死」と説いています。

遠藤: 釈尊が悟った「不死の境地」が、法華経で明かされているということですね。

名誉会長: 法華経が釈尊の本懐である、すなわち生涯の教えの最終結論であるということが、ここにも現れている。

須田: 不老不死というと、何か荒唐無稽な印象もありますが —- 。

名誉会長: もちろん、「老いない」「死なない」ということではない。そんなことになったら、ただでさえ人口問題が深刻なのに、大変なことになってしまう(笑い)。
「老苦」「死苦」がないということです。苦しまない。「大いに楽しく生きよう」と釈尊の言葉にあったように、悩みを乗り越えながら、生きる喜びを毎日、刻々と味わって生きる境涯です。それが本当の「健康」です。

須田: 「健康は最高の利得」とありました。

遠藤: 「満足は最上の宝」ともありましたね。

名誉会長: 色心ともの「健康」です。色心ともに、はつらつとして、「今世の使命」のために、全魂をこめて生き抜いていくのです。
いな、たとえ病に伏すことがあろうとも、生あるかぎり、妙法を唱え、妙法を語っていく。生死を超えて、使命に生ききっていく。その「信心」こそが「不老不死」の境地なのです。それを「薬王品」は教えている。薬王菩薩が身をもつて、教えているのです。概要を見てみよう。